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【三国志】距離について②

前回、どうして時代ごとに長さが変わるのかという謎が出ました。ですので今日は、この謎に迫っていきたいと思います。ただ、この記事は安良の推測を含んでおりますのでご了承ください。

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商鞅「そもそも度量衡が、なぜ必要なのかわかるか?」
安良「えーと、長さや量、重さをはかるためかな」
商鞅「抽象的すぎるな。儂の時代では絹や穀物を現物で収税していた。だから度量衡の器具は、権威の象徴として必要だったのだ」
安良「へー」

言われてみれば、収税は国家運営において極めて重要なお仕事。国の定めた数字と言うことを踏まえて、各時代の長さを確かめていこうと思います。


◆ 周代の前半

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周代の前半は、周王室の統治が行き届き、身体尺や実物による計測が重んじられた時代です。
1尺は元々、広げた手の親指と中指の先までの長さだったらしいです。あるいは、黍(きび)を100粒並べた長さという説もあります。
いずれにしても個体差があって、1尺が18~20cm程度と推測されています。

そんな感じで周尺の定規は存在しないとのこと。ただし漢代の辞書(『説文解字』)によれば、「周の1尺は8寸程度」と説明があります。漢尺は23.1cmなので、8寸(8割)は18.5cm。どの説をとっても19㎝あたりの数字です。「周尺」といったら自分の手のサイズと思えばちょうどいいかも。


◆ 周代の後半、春秋戦国期

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周代の後半(春秋戦国期)は、主君である周王の権威を尊重せず、諸侯国が各々に度量衡を主張し始めた時代です。当時は物納メインでした。だから度量衡の値を大きく設定することは増税を意味します。

特にこの時代は、各国の領土争いで軍事費が増していたし、匈奴など外敵への対応にも経費がかさんでいました。そうした背景で度量衡のサイズ拡大が繰り返されていく。各国で増税に苦心する人々の様子が見えてくるようです。


◆ 秦代

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秦代、ここで中華統一! 商鞅の定めた度量衡が一律に適用されました。とはいえ実現はかなり難しかったでしょうし、各地の誤差が2~5%以内になるよう努めたというのが実情と考えられます。
つまり1尺を23.0cmに定めたけど、わずかに誤差も認めた。秦尺の102%は23.5cm。この辺までは優良と言えそうです。105%は24.1cm。これは役人にいつ摘発されてもおかしくない危険エリア。

商鞅「なにごともやりすぎは身を滅ぼす……」

商鞅(BC390~338):秦統一の基礎を築いた法家の達人。自分が決めた厳格な法律がきっかけで亡くなった。


◆ 漢代

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漢代は、23.1cmが使われました。公式の銅製定規が残っているので間違いありません。途中「新」という国が挟まるけど、この時も23.1cmだったようです。

ところが、漢には23.2~23.4cmといった少し長いサイズの象牙定規も現存します。この件については、背景に言及している文献が見当りませんでした。私は、秦代で許容された範囲の定規が漢代にも用いられた、と推察しています。
あるいは、当時の社会状況から察するに……
後漢末といえば外戚・宦官によって政治が乱れていく時代です。例えば、大きな定規で収税すれば、余剰分は自分のものにできます。そんな風に彼らが私服を肥やしていく中で、次第に定規のサイズが大きくなっていった可能性は高いのではないでしょうか。


◆魏代

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魏代は、1尺24.1cmになりました。
これは、なし崩し的に長くなっていく1尺を「もうだめ、これにして!」という感じで決めた数字ではないかなと思います。24.1cmは秦の時代から使われてきたと思われる定規ですし、大きな反発もなく採用できます。新政府としては増税に都合が良さそうです。


☆時代ごとに長さが変化する理由

ここまで調べたことで、経緯がだいぶ分かってきました。
一尺が徐々に長くなる理由は、ゆっくりと増税していった結果だったんだ、と安良は結論づけました。いつの時代も国と民は税に悩んでいたんだな~なんて考えちゃいます。

☆小説を書く場合に、使う漢尺を決める

ではでは私が小説を書くとき、何センチの尺を採用したらいいか、あらためて考えてみたいと思います。

三国志の1尺は、漢の公式定規によれば23.1cmになります。でも秦代同様に、多少の誤差は許されました。それが現存する23.3cm23.4cmの牙尺だと推察しました。

この牙尺は漢尺の101%程度の物で、個人的に小気味のいい数字だと思います。たとえば、後漢の絹1反は「1尺×10尺」だから、1尺を1%長くすると、面積では2%増税と同じ効果があります。
収税吏は余剰分で私服を肥やすことができるし、商人たちも農家から余分に取れる。一方の農家側としては、できるだけ正しい物差しを使う人を探したい。

そんな市場の駆け引きが見えるような数字の誤差。たかが1%、されど1%。2mmも積もれば山となる。

さて、すると1尺23.3cmなら1里419.4m。23.4cmなら1里421.2m。
うーん私は……1里420mを採用したいっ!

なぜなら、1里420m、1尺23.33cmは、朝廷の掲げたお題目としての公式数字ではなく、実際に人々が使っていたであろう物。想像ではありますが、まさに後漢末の人々の思惑や雰囲気が伝わってくる、おもしろい数字だと思うからです。

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商鞅「ほう、それがお主の世界での収税尺なのだな。よかろう、結論をだした褒美に儂のつくった商鞅枡を授けよう」
安良「あ、ありがとうございます」(ここまで話してた定規じゃないんだ)
商鞅「残念ながら定規は後世に伝わっておらんのじゃ。哈哈哈」

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商鞅の話に耳を傾けた結果、安良は一つの答えにたどり着いたのでした。
めでたしめでたし♪

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当時の暮らしに目を向けながら史料を読んでいると、頭の中がこんがらがることがよくあります。今回記事にすることで、色々とまとめることができました。理解が深まり、とっても楽しかったです!
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。


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