【三国志】距離について①
三国志には、「里」という距離の単位がよく出てきます。
日本だと1里=4kmがなじみ深いです。
しかし、三国志関連の本だと長さが一定ではありません。例えば……
・陳舜臣三国志:1里=400mあまり
・宮城谷三国志:1里=415m
・歴史群像 :1里=434m
・吉川三国志 :1里=???m(表記見つからず)
・北方三国志 :1里=434m
・戯史三国志 :1里=423m
などなど……
メートル換算の数字が本によって異なるのはなぜだろう。そんな疑問が頭から離れなかったので、どうして長さが変わるのかを調べてみました。まとめておくと便利だし、自分用もかねて公開します。
1. 中国の度量衡を調べる
まず、「度量衡(どりょうこう)」という言葉を見つけました。
さっそく辞書を引いてみました。
度量衡の意味がわかりました。次に、中国の度量衡の「度」を調べると、「尺・歩・里」という単位が出てきました。これを使って中国の1里の長さを計算できそうです。
【参考】里-Wikipedia
↓ 昔の「1里」はこんな感じで計算したそうです。
秦漢時代:6尺=1歩、300歩=1里。よって1里は1800尺
後の時代:5尺=1歩、360歩=1里。よって1里は1800尺
ラッキーなことに、秦漢も後代も「1里1800尺」でした。ということは、1尺何cmかが分かれば、1里何メートルかが出ます。
2. 1尺の長さを調べ、1里に換算する
尺の長さを調べると、時代によって長さが変わることがわかりました。古い時代ほど短く、新しい時代ほど長くなるんですね。
各時代の1尺がわかったので、これを1里に換算します。
▼算出方法は「1尺のセンチメートル×1800=1里のメートル」
秦:23.0×1800=414.0m
漢:23.1×1800=415.8m
23.2×1800=417.6m
23.3×1800=419.4m
23.4×1800=421.2m
魏:24.1×1800=433.8m
唐:30.0×1800=540.0m
三国志は後漢末なので、1里=415.8~421.2mの間あたりかな?
確認のため、もう一度作家たちの数字を見てみます。
3. 比較してみる
・宮城谷昌光三国志の415m
漢尺23.1cmで算出して、415.8の端数切り捨て。
宮さんの三国志は後漢から始まるから、23.1cmを採用したのかな。
・歴史群像の434m
魏尺24.1cmで算出して、433.8の端数四捨五入。
三国志の魏呉蜀成立後、魏を正統として、魏尺24.1cmを採用した模様。
・陳舜臣三国志系
『秘本三国志』は1尺23cm/1里400mあまり。『諸葛孔明』は1尺約23cmとあります。これは秦尺ではなく、わかりやすくするために小数点や端数を切った結果なのではないかと推測します。
・吉川英治三国志
尺と里の注釈がありませんでした。しかし例えば、本来は8尺の張飛が、7尺に変更されています。7尺を漢尺で計算すると普通の人のサイズ(162cmくらい)になってしまいます。たぶんこれは、なじみのある日本の尺(30cm)を使って日本人用に変更された長さだと思われます。すると210cmの巨漢! うおお熱い!
こんな感じで、作家それぞれに理由があるんだと考えられるようになりました。戯史はちょっと根拠が何かわかりませんでした。。。
4.まとめ
これで作家ごとに数字のばらつく背景がわかりました。
さて、もし自分で小説を書くとしたら、どの数字を使うべきか。私の場合は、後漢末(160年)~魏成立(220年)頃に注目することが多いから、漢の時代の尺を使うのが自然な気がします。
すると「1尺 23.1cm/1里 415m」。これが正解ではないでしょうか!
商鞅「そこの御仁よ、まだ結論を出すには軽率であるな」
安良「あ、あなたはまさか、秦の度量衡を定めた商鞅さんではありませんか!?」
商鞅「いかにも」
商鞅(しょうおう):秦の富国強兵を進めた法家の達人。紀元前350年頃、度量衡法を定める。秦の中華統一で、全国に一律の度量衡をもたらした。
商鞅「そもそも、なぜ時代が新しくなるほど長さが長くなるのかを考えたことがあるかね? ないじゃろうなあ」
安良「は?」
商鞅に止められ、安良は結論を急ぐのをやめた。言われてみれば定規を調べたとき、漢でもいろんなサイズがあったことを思い出したからだ。
──たしかに、なぜ1尺の長さが変わるんだろう。
そう思った安良は、商鞅の言葉に耳を傾けることにした。
次回! サイズ変遷の謎にもう少し踏み込んだ記事を書きます。
商鞅さんもいるよ!
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