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文学批評事始

序文 

「天使の梯子」――そんな言葉が、ある日、頭上から降ってきた。
批評を目的とした三人の組員。
この言葉は、その三人の中の一人が名付けた、われわれの名称である。

しかし組員というのは、ちょっとおかしい。それではおもちゃの兵隊さんである。
ではわれわれは、いったいどのような繫がりであるのか。

「批評グループ」というのはどうだろう。
グループには、結び目という意味があるらしい。
なるほどわれわれはたしかに何かの縁によって結ばれているらしい。

「批評サークル」ではどうだろう。
サークルとは、文字のごとく円を表すものである。
たしかにわれわれには上下も左右もない円卓に集っているようである。

どのみち何かがはじまる日の朝には、天使のいたずらがないわけはない。
もちろんこれから出会うことになる、大切な作品を抱えた創作者のみなさまとも。

 ⁂

むかし、生まれ育った田舎の家に、古い木の梯子があった。それはもうすっかり擦り減ってさえいたが、全体はよく出来ていて、丈夫な造りであった。その絹のようなやさしい手ざわりと、嘘みたいに頑なな、いわゆる伝統的工法の持つ力の均整は、いまも忘れられない。

しかし、その経年した木材のなめらかに安心していると、登っている途中でたまに表面がささくれ立っていることがあって、思いがけない痛手を負うことがあった。それは自らの身体に回避するべき運動としてしっかりと学習され記憶されている。

批評とは、そんな木製の梯子のようなものではないか。そんなことを、ふと考えた。
やさしさと、危うさ。安心していると、チクリとやられる。見かけには不安でも、案外しっかりとしていることもある。その両極性。それは本当は子供には使いこなせないものであって、迂闊には手をかけてはならないもの。

それでも瓦屋根の上から見る空は、地上から見るものとは断然違っていた。それは平生の地平が押し広げられて、自分の目が、自分のいた世界を変えるからである。それは浮足立っていたわけではなくて、木の梯子を運んで、屋根にかけて、登るという段階を踏んだからであると思う。

より高みを目指したいのは幼心からも懐かしい願望だが、それを叶えるための手段としては、古い木の梯子はいかにも時代遅れかと思われる。それでもどのくらい地上と離れているか、その実測的な高さを問題としないのであれば、確実に自分の体を運ぶ方法としては、その重みこそきっと必要なものであると思う。重ねられた言葉を通した実際的な往復のやりとりこそ、またそれに当たると思う。

なんだか小難しいような説明になってしまったけれども、差し支えないはないと思う。なぜならばわれわれ「天使の梯子」には、これもやはり一員のアイデアから出た「文読堂」(ふみよみどう)という屋号が付いているからである。これは可愛らしい砂糖菓子のような王冠である。持続的な創作活動には、このような軽みや遊び心もまた必要であると思う。

さて、この「文読堂」の屋根のもとには、どのような作品が集まるのだろうか。そしてその屋根のから見える景色は、果たしてどのような創作世界だろうか。

一人が命名し、一人が屋号を付けた。そしていまもう一人が、こうして序文を書いた。
この序文は徒然に書いたもので何の脈絡のないものだが、それでも三人の係わりから生まれてきたものであるから僭越ながらもこれがわれわれの序文に相当するわけで、立派な意思表明にもなるわけである。そう思いたい。

われわれの〈文読み〉の活動が月日を巡回して、いつか屋上の誰かが遠くにその目線を託す希望的な薄明光線になることを願い、あるいはその段階的に限られた言葉が、より高みへよじ登るためのなめらかながらもある程度角張った〈手がかり〉になることを願い、序文に代えさせていただきます。

                  「文読堂 天使の梯子」の一員より

文読堂「天使の梯子」とは?

文読堂「天使の梯子」は、令和三年六月に結成された〈投稿作品募集型〉の批評サークルです。
メンバーは三人で、それぞれ得意分野は違うものの、読書好きであるという共通点があり、作品を言葉によって表現したいという思いがあります。三人ともいわゆる商業出版というよりは少部数出版等の在野を活動場所としており、そういう〈習作的〉文学の立場から新しい可能性を創造していきたいという事も、共通の意志としてあるかもしれません。三人はふとした出会いで知り合いました。

こちらのnoteでは、「天使の梯子」の批評活動の一部を更新していきます。投稿作品以外にも、既存作品への批評文も掲載していきます。批評サービスのサンプルとしてご利用いただければと思います。
どうぞぜひお気軽に作品をお送りください。出来る範囲で柔軟に、そして本気で対応致します。
そうは言っても、上から物事を言えるような立場ではございません。真摯に作品に向き合う事で言葉にしていきたいと思っています。もちろん偉ぶるような振る舞いもいたしません。
みなさまと創作における悦びを、そして愉しさを共有できることを願っております。
どうぞ宜しくお願いいたします。

~メンバー紹介~

○ 山口静花
山口静花です。
1998年生まれ。小説だけでなく詩やエッセイも書きます。創作企画を立ち上げることもあり、さまざまな方の作品に広く関わりたいと考えつつ、作品を執筆しています。
普段読む本としては現代文学や一般文芸など、美しい文章、文体にこだわりを持つ人間です。傾向としては明るいものより暗いものが好み。
ストーリーよりも描写力、に切り込んだ感想を投げることが多いかと思います。
「文読堂天使の梯子」はもっと気軽に感想をもらえる喜びを知ってほしい、という思いがあり作りました。
なのでぜひ!ぜひお気軽にご依頼ください。文字数オーバーしてるな、そういうことがあってもまずご相談ください、これ大事。
全力で、本気で作品を読み、考え、熱量のある読者の一人として、感想を書かせていただきたいと思っています。皆様の作品に出会えるのが心から楽しみです。よろしくお願いします。
ちなみに好きな食べものはしゃぶしゃぶ。


○ 齋藤圭介
東北に生れて、十代の頃から句作、詩作をはじめました。学生時代は文芸同人誌を主宰し、今も小さな出版社と関わり合いながら文筆活動を続けています。
専門的に読んできたのは日本近代文学で、中でも詩と私小説が多いです。ドイツ文学もよく読みます。
どうしても自分の趣味が一歩だけ前に出てしまうのが文学の、あるいは読書というものの横顔ではないかと思うことがあります。あるいはそのような〈茶目っけ〉にこそ、文学における柔らかな不干渉の一側面があると思ったりもします。
しかしそれは一人の活動の場合の話で、今回は、両隣には同じ徽章を付けた仲間がいます。横を向けば、横顔がある。一歩足が出てしまう時にも、その足取りを合わせようとする。この補完作用には、言葉や物語の可能性があると思います。
全体の歩調を気にしながら、それでも誠意をもって、正面切って自らの個性で批評の言葉を紡いでいけたらと思います。それが投稿者様の創作の前途に少しでも繋がるのであれば幸いです。
誰かの作品を、そして言葉を読ませて頂く事で、その誰かの中にも、仲間や自分の中にも、また新しい作品が、そして言葉が生れてくることを願い、簡単な自己紹介とさせて頂きます。

○ yo
これまで読書関連のアウトプットとして、読書系YouTubeの運営、文学フリマ東京等での小説執筆をこれまでやってきました。
最近文学理論も勉強し始めています。面白いですね。
畏れながら、私がひと様の文章を読んでコメントできることといえば、概ね以下のことになるかと思います。
・どんな内容が書かれていると理解したか
・その内容を読むことにつき、個人的にどのような意義を持たせたか
・その文章に対し、どのような展開が欲しいと思ったか
・仮に続編を書かれるとしたらどんな内容を欲するか
・シンプルに読み進めて面白いと感じたかどうか
・どんな点を面白いと感じたか

どうしても自己紹介となると固い文章を書いてしまいがちなのですが、この「天使の梯子」での文学批評も楽しくやっていけたらと考えています。
どうぞお気軽にご依頼いただければと思います。

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