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三上優記 『さよなら、ビタースイート』批評

※本作品には若干の性的表現が含まれます。批評内にはそうした表現は入れておりませんが、作品本編をお読みいただく際はご留意ください。

山口静花 評

良いタイトルだなあ、というのが、第一印象でした。読み切った後でもその印象は消えず、ほのかな余韻として、「さよなら、ビタースイート」という言葉は残りました。どこかでやさしさを感じられる、切ない一編に仕上がっています。
特に軽い性描写、官能表現が冴えていて、力が入れられていたように思います。自分を駆り立てる今日が最後という焦燥感、抑えきれない先生との関係への反抗、そして何より欲情、そういったものが行間に漂っているように思いました。一文一文にしっかりと力が込められており、確かに必要と思わせる、着実な表現な積み重ねをされる方だな、と感じました。小説の面白味というのは、その人物の目を通して世界を語ることができる点にあると考えています。本作はその小説自体の強みとも言える武器を存分に発揮しており、その点で大変に魅力的に感じました。
また、今回の先生にあたる人物は結婚をしており、主人公は許されざる恋をしていることになります。その葛藤が垣間見えるような、少し物悲しいような主人公の心情たちは、読者の心を打ちます。一瞬を濃密に引き伸ばしながら展開される物語の行方を、読者は自分のことのように、ひりつく皮膚感覚でもって体験させられることになるでしょう。

もちろん、このままでも素敵な作品なのですが、その上で少し気になった点を挙げさせていただきます。
まず率直な感想としては、何が起こっているのかわかりにくいな、という点が挙げられます。詩的表現が続くが故に、いったい何が起こっているのか、という説明が不足しているように感じられました。これが作品の余情でもあり、魅力ではあるのですが、それにしても詩的表現の列挙には限度があるとわたしは考えています。度重なるそういった表現は、少し読者の心を疲れさせてしまうように感じました。力を入れた一文、そうでない一文、を交互に盛り込むことによってそれは改善されるのではないかと思います。読者を離れさせない手段として、これは有効なのではないでしょうか。また詩的表現の連なりは、同時に読者への強制力のような圧力をも感じさせます。これは一長一短で、そこからするりと抜け出したくなってしまう読者もいることが想定されます。そういった人々を飽きさせないためにも、想像の余地を残した、より映像的な文章表現を追求する必要を感じました。
加えて、1行目から殺す意識、に欠けているとわたしは感じました。これはわたし自身、作品を書く上で気を付けているこだわり、にも繋がってくる話になるのですが、読者というのは、大変にせっかちです。その作品を読む価値が果たしてあるのか、を常に問う態度を持っているものです。その上で、現在の「頭がぐるぐるする」という表現は、訴求力に欠けているように感じられました。この作品の真髄が中盤にある以上、読者をそこまで連れ出す決定打になり得る冒頭が欲しいと感じました。今のままでは非常にもったいない。
それに続きまして、軽い性描写のシーンでしか詩的表現が出てこない、というのは作品のメリハリにも繋がっていながら、惜しい点であるとも感じられました。せっかく高い表現力をお持ちでいらっしゃるのですから、それをもっと前から、もっと始めの段階から知りたかった。読んでいてハッとさせられる美しい表現は、主人公の目を通して語られるわけですから、きっと先生を見つめている一瞬一瞬にもそれが宿っているのではないかと思います。

気になった点は以上になります。
官能は大好きなので(語弊がある)そういった作品を読むことができてわたしとしては非常にうれしく、性癖に刺さるお話でした。
ご依頼いただきありがとうございました。山口静花でした。

yo 評

恋してはいけない相手に恋心を抱いてしまった七崎ちゃんの矛盾と葛藤がじんわりと胸に沁み込んでくるような作品でした。ダメなものはダメ、ではなかなか済まない感情の現在地が強く表現されているように思います。特に七崎ちゃんが「ルール」を壊し、先生を求める中でもまだ心の中で葛藤を続けている様、理性と感情が分裂しながらも感情に支配されていく様は、非常に読み応えがありました。

一方でどうしても気になってしまったのが事実関係、特に人物の行動がうまく読み取れない部分があった点です。

小説を読むとき、私は頭の中で映像を作りながら読むタイプです。描かれる文章を基に、自分の知っている景色を自動で重ねながら(時には登場人物の顔を知り合いに見立てながら)、映像を作り上げていきます。このタイプの人からすると、行動や位置がわかる描写が少ないと、脳内の映像が途切れてしまうので、少々わかりにくく感じてしまいがちかもしれません。例示として、七崎ちゃんが先生を欲しがる過程の事実を整理してみます。この時の先生の向きと動き、七崎ちゃんの位置を考えてみます。

1頁11行「私は(中略)ベッドに倒れ込んだ」
2頁6行「そう言って目を合わせれば」
2頁13行「いつもみたいに抱きつく」
2頁18行「突っ込む先生を引き寄せる。……先生が……ベッドの縁に手をつく」
2頁22行「先生は私を引きはがそうとする」
2頁24行「私はその手をぎゅっと掴んだ」
2頁28行「そのまま思いっきり肩を押した。……先生がベッドに尻もちをつく」

こうしてみると、七崎ちゃんが急に先生に抱きつけた事実から、先生は七崎ちゃんをベッドに横たえた後、しばらく会話する間ずっとベッドの傍にいたことになります。また、七崎ちゃんの方を見ているので、体は七崎ちゃん方向から左右90°以内のどこかの向きになりそうです。そして、抱きつく七崎ちゃんを引きはがそうとしているところ、七崎ちゃんはその手をつかみます。そして、七崎ちゃんは先生の「肩を押し」、先生はベッドに「尻もち」をつきます。
ここの事実関係があまりよく見えません。ベッドにいるはずの七崎ちゃんが、正面を向いている先生の肩を押したら、角度はどうあれ先生はベッドから遠ざかる方向に倒れそうです。先生がベッドに尻もちをつくには、先生がベッドから離れ「隣の部屋」に移動しようとしているところを七崎ちゃんがベッドから強く「引っ張る」か、七崎ちゃんがベッドから起きて先生の前に立ち、そして肩を押す必要があります。

その他の点では、例えば1回目のキスが3頁1行であることを、3頁19行に「もう一度」とあったのでやっと確信しました。
事実をどこまで細かく書くかというのは大変難しいところですが、簡潔にまとめつつ、情景を思い浮かべるのに必要な情報が伝わるように意識して書く、というのは難しいですね。書かなくてもわかると書かないとわからないの境界はどこにあるのでしょう。
私自身明確な答えがあるわけではなく恐縮ですが、今回に関してはもう少し動きのわかる描写をちりばめても良いのかなと思いました。

指摘事項が少々長くなってしまい申し訳ありません。
振りほどかなければならない思いを抱えることの難しさ、そのいけない方を夜と酔いに任せて選んでしまう心の機微が大変美しく感じられた作品でした。ありがとうございました!

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