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アラビア語学習、その先の景色

アラビア語の学習を始めてから1年と数ヶ月が経った。
マルチリンガルなコーチに、発音や文法、学習計画、その他もろもろアドバイスなど、多岐にわたってご指導いただいている。
おかげさまで、日々わずかな時間ではあるけれど、アラビア語に触れたり、考えたりすることが習慣づいた。

私にとってアラビア語は、高嶺の花だった。
神学部に籍を置いていたのもあり、宗教と関わりの深い言語を学ぶのが楽しくて仕方がなかった学生時代においても、怖気付いて手が出せなかったのである。

「先生のクセが強すぎて履修者が1人まで減った」
「英語を完璧にマスターしていないと理解できない言語」
「天才しか読めないし話せない」
…履修した先輩方に感想を聞くと、みな一様に「めちゃくちゃ難しいで!やめとき!!!!!」と凄い剣幕で却下。

履修できた先輩に出会えず、ドロップアウトした人たちにばかり評判や感想を聞いた私も私だが、学部内でアラビア語の授業はある種神格化されていることだけは確かだった。

「語学センスに秀でた人しか手を出してはいけない」。
そう思うことでアラビア語を学ぶことへの気持ちを封印していたように思う。

それでも、頭の隅では興味を断ち切ることが出来なかった。
大学時代、用事をこなす合間に思い付きで立ち寄った代々木上原の東京ジャーミィで、見事なまでに計算され尽くした文字装飾をみた時から、アラビア文字の持つ美しさに囚われてしまったのだろう。

卒業旅行でスペインのアルハンブラ宮殿に訪れたことも大きなきっかけとなった。
その頃から海外のアラビア書道作品をネットで鑑賞するようになっていた。

そんなこんなで大学卒業からおよそ10年。
この時を経て、ようやく高嶺の花に手を出す勇気が湧いた。
アラビア語圏に自分に作品を売りたい、広めたいとか、現地を訪れて困らない程度に会話を体得したい、とか。
他にもいろんな理由付けはあるけれど、コーチのブログやYouTubeを見て、なぜか「いま踏み出さなければ一生変われない」と強く思ったのが一番の原動力になった。

1年経ってみて、自分の見る景色が変わったかと聞かれたら、「そんなことはない」というのが答えだ。
でも、モチベーション問わず毎日学習するという意志を持てるようになったのは間違いない。
それと同時に、高嶺の花だと思っていたアラビア語は案外すんなりと生活に溶け込み、週5フルタイム勤務と終わりなき家事育児を戦い抜く仲間になった。

仕事や日々の予定には「インシャーアッラー(神の思し召しがあれば※)」と心の中で唱えてみる。※ケセラセラに似たフレーズ
運転していて交通マナーの悪い人に出会ってしまったら「アンタガビー(あんたバカね)」と呟いてみる。
キッチンに立って包丁を持ったら「スィッキーンマトバフ!」と子どもに向かってポーズを取ってみる。
こういう瞬間が意外と息抜きになる。


オペラ好きが高じて60歳からイタリア語を学び始め、93歳となった現在もなお、日々学び続けている私の祖母の姿が私の目標だ。
来年もずっとその先も、1日1単語でも良いからアラビア語を学び続け、自分の血肉にしたい。

アラビア語1年記念の初note。
あす以降の自分への誓いでもある。

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