彼女は頭が悪いから

どのくらい前だろう。この本が話題になったのは。

「東京大学生協で1番売れた」、「上野千鶴子が東大入学式の祝辞で取り上げた」という触れ込みで多くの書店で平積みされていたと思う。

見る人を少し不安にさせる絵と黒色の装丁が印象的だったが、なによりもそのタイトルが目を引いた「彼女は頭が悪いから」。

この文芸書が書店で平積みされていた頃、私はとてもとてもショックなことがあって、小説が読めなくなっていた。だから、気になっていたけど買えていなかった。今回この本が文庫になったのを書店で見つけて、迷わず購入できたことに「あぁ、わたし回復したわぁ〜」と思った。こんな重そうな小説を手に取れるようになったなんて…。頑張ったね、わたし。

と、ここまで本の内容と全く関係ない話を書いてしまったので、ここからちゃんと感想書きます。めちゃくちゃ落ち込んでた理由はまた今度書きます。書けたら。


この本ね、おもしろいです。悪意のない、残酷なまでに無垢なエリート主義を持った男たちに、所謂普通の女の子(いい子)が弄ばれます。男たちの行為は犯罪であり、当然裁かれるべきものですが、「女側の落ち度、又は戦略的訴え」、「東大生という肩書の社会性による問題の過大化」という声が上がります。本書はそのような社会に対するアンチテーゼを静かな怒りをもって、物語にしていました。

あくまでも、「物語」なので、東大生達と被害者のキャラクターはわかりやすく「悪者」「良者」になっています。だから、お話が盛り上がっておもしろい。でも、この本の1番苦しい(おもしろい)ところはこの被害者に対する社会の声が描かれるところ。ここ、リアルなんですよ。ネットの書き込みとか、ワイドショーのコメンテーターの発言とか。めっちゃえげつないことを書いたり言ったりするんですよ、みんな。でね、ここの描写をリアルに感じる社会ってめっちゃ怖いなって思うんですよ。小説のようなフィクションの世界で描かれる悪意って、大袈裟なものが多いと思うんですけど、この本はここが1番リアルなんですよ。小説で描かれるような強烈な悪意をリアルに感じる社会、超怖いって思いました。

しかも、この悪意って無知の悪意なんですよ。いろんなこと(事件の背景、被害者をバッシングすることによる社会的影響)を知らないから、悪びれなく、むしろ正義感のようなものをもって悪意を表現できるんですよ。自分が被害者になることは想像しない。っていうか、そんなおっかないことあっちゃいけないから、被害者側に「被害に遭う原因」を作って、自分がそこに当てはまらないことに安心してるんですよね。私も同じです。だから、すごくここの描写が痛かった。責められてるみたいで。

加えて、今の社会って、ネットの力があるから、無知の悪意が寄ってたかって被害者を簡単に直接ぶちのめせるんですよ。ボッコボコに。しかもね、そのボッコボコにされた傷は、被害者が隠したい、忘れたいと望んだとしても絶対消えないんですよ。一生「私は加害者からこういうことをされました。その後社会からボッコボコにされました。」っていう記録が簡単に他人に知られてしまう恐怖、苦痛と一緒に生きてかなきゃいけないんですよ。その点も被害者側の絶望要素として大きくあると思います。

社会全体が想像力をもたなきゃいけない。イメージに惑わされて、本当のことが見えなくなってはいけない。「善」「悪」のわかりやすさに飛びついてはいけない。いつかそれに飛びついては誰かに向けた悪意は、必ず自分に返ってくる。助けが必要なときに、「自分は誰からみても100%の被害者であるか、被害者であるイメージを持ってもらえるか」を気にして、声を上げられなくなる。過去の自分の無知の悪意が、自分の首を絞めるときがくる。そんなことを読み終わった後に思いました。

きっと実際に東大(だけじゃなくて、よく「偏差値が高い」「名門大学」と言われるような大学)に入るような子達で、この物語に出てくるようなツルツルお子様な感性(東大にいることで自分の価値を固く信じられるような)を持っている子は少ないんじゃないかと思います。でも、この本に出てくる子達のような「エリート」のイメージってたしかにありますよね。そういうバイアスもある。

みんな、つい、自分に都合の良いようにものごとを捉えたがってしまう。安心したいから。でも、それって危ないよなぁ。無知の悪意で誰かを傷つけないように気をつけなくちゃ。

#読書感想文

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