だから『人(ひと)』を撮ろう!(上)
(せっかくプロフィールページを作成したのだから、1度くらいは投稿をしてみよう・・・のココロです)
38年前、18歳の私は”写真学生”になりました。
具体的な進学先は、東京工芸大学短期大学部写真技術科。入学直後は二クラスに分かれての、初歩的な授業。その最初の一コマ目、先生はたしか粟津先生。
先生は明言されました。
「『人物』こそ、最強の被写体である。『風景」なんぞも『飛行機』なんぞも、『人物』の持つ魅力には及ばない。1枚の写真の中に、たとえ小さくても人が写っていたとしたら、見る人はそこに目を惹きつけられるものです。
『人物』というのは、そのくらい魅力のある被写体なのです」。
(もちろん38年経過しておりますから、この通りに話されたわけではアリマセン)
そして出された最初の課題が、
「人物を撮ってくること。ただし、被写体となる方には趣旨を説明して許可をもらうこと」。
(学校は新宿から1駅、中野坂上にありました)
見知らぬ人に声をかけるなんて・・・・。例えば、学校近くの新宿西口公園であったりで、途方に暮れたものデシタ・・。
その最初の課題で提出した作品はありませんが、当時写真学生だった私が撮ったものです。
野当時は「スナップ写真」全盛の頃。バックの中にカメラ+レンズ1本を入れて折をみて取り出しては、ヘッピリ腰にシャッターを切っておりましたっけ。
そんなヘタレな私ですから、早々に”写真で食べていく”ことを諦めました。
それでも”写真を撮る”ことは続けようと試行錯誤してみたのですが、ことに地方暮らしの低賃金労働者では、写真はお金がかかり過ぎる・・・。周囲の人に「写真撮ってます」と言ったところで、「・・・ヌードは撮らないんですか?」と返されるのが関の山。
親の面倒を見るため千葉県に戻った時には、趣味を映画鑑賞として生きていくつもりでした。
地方暮らしはもうお腹イッパイ・・のつもりだったのですが、人生どう転ぶかワカラナイ。ご縁があり、熊本県芦北町を本籍地にすることと相成りました。当地で何をしよう、と考えた時、出てきた答えは「写真を撮る」。
写真機材一式を買い揃えて、芦北へ引っ越してまいりました。
当初は疎くて、実はSL人吉が芦北町内を走っているという認識がありませんでした。たまたま肥薩線・白石駅に居た時、静かに入線してくるSL人吉こと58654号機に出会いました。
月並みですがその姿に惹きつけられ、徐々に被写体となる回数が増えていき、しまいには白石駅発着の際は”必ず立ち会う”ように。
ですからSL人吉こと58654号機の勇姿を収めた作品、いくらでも紹介できます。
しかし、私がここで紹介したいのは、次の2枚です。
いずれも乗務員さんが、カメラを構えた私向けにポーズをとってくださっております。
私は、写真学校最初の授業を思い出します。
(つづく)
(ここまで書いて1200字超え、原稿用紙3枚ほどです。ダラダラ・・と書かないよう心掛けたつもりなのですが、ムズカシイものですね)