見出し画像

生まれてきてくれてありがとう

 先程公開した昔の日記の続きと言えばいいのかそう言った出来事があったので書きたいと思います。

 先日実家で両親と一緒にテレビを見ていたところ、今週生まれた赤ちゃんを紹介するというコーナーがありました。「生まれてきてくれてありがとう」というメッセージと共に、赤ちゃんとご両親や家族の写真が次々流れていくテレビを見ながら、父が少し照れたように笑いながら明るく口を開きました。

「そうだね、あん子も生まれてきてくれてありがとうね。」
「こちらこそ産んでくれてありがとうね。あ、産んだのお父さんじゃなかったわ」
「お父さんが産んでたらお父さん〇〇(長女)の時点で死んでたと思うわ」

 笑いながら受け答えをしていましたが、私の記憶のある限り生まれてはじめて言われた言葉に思わず涙が滲んできました。両親はもちろん私が今うつ病で休職しているのを知っているので、きっと気遣ってくれた言葉だったとは思います。父の優しさに感謝しながら、それでも母も便乗して言ってくれたりしないんだなという少し寂しい思いもありました。きっと今後も聞かないとは思います。

「あん子だけ産声を聞かせてもらったんだよ。予定日より1ヶ月も早く破水して慌てて車で病院に行ったんだけど、そう言えばあの時全部信号青だったんだよね。病院ついた瞬間『頭見えてる!絶対にいきんじゃダメだからね』ってそのまま分娩室行って」
「あの時お医者さん間に合わなかったんだよね確か」

 今まで会話に参加していなかった母も父にねぇお母さんと言われて答えましたが視線は携帯に釘付けのままでした。

「あの時青信号じゃなきゃ車で生まれた子供になってたねぇ。分娩室の扉閉まった瞬間『ほやぁ』って聞こえてきたんだよ」
「昔は立会い出産なんてなかったからね」
「そうそう『はい、じゃあお父さんは帰ってください生まれたら連絡します』て言われてね。あん子の時はそんな事言われる間もなかったから生まれてはじめて子供の産声聞いたんだよ」

 何度も聞いたことのあるそのエピソードを父は嬉しそうに楽しそうに語ります。愛されているのは間違いないというのはよくよく分かっています。それでも、たった数回ではありますが、言う事を聞かないと暴力を振るったり、学校へ行かない私に怒って壁や扉を蹴って脅して、いい加減にしろと怒鳴りながら引きずって連れて行かれた事は忘れられません。普段穏やかで明るくて優しい父は、ある日突然キレる人です。家族の誰もその父の沸点が分かりません。ですが最近歳をとったからか理不尽にブチ切れることは少ない気がします。私が家を出て会う回数や時間が短くなったからかもしれませんが。

 貧乏でしたが、それでも行った旅行やお出かけ、お下がりばかりの家具に服に勉強道具でしたがそれが他の子が持っているものより珍しかったりして、部屋が足りないので誰かと部屋を共有する暮らしでしたが猫と兄弟とで川の字になって寝たり、誰かと誰かの喧嘩が絶えなかったり、間に入って宥めたり、それなりに幸せだったと思います。

 生まれてきてくれてありがとうと、あの時にそう言って欲しかったんだと思います。正直な心内を教えてくれて今も複雑ではありますが、親も人間で、苦しんでいる私にどのように接すればいいのかわからなかったのだと思います。そして私のよく言えば素直で悪く言えば不器用な所は両親譲りだったのだと
思います。14歳の今以上に不安定なあの時に言ってくれればよかったのに、とは思いますが嬉しかったのも事実です。

 私を生んでくれてありがとうね。


(写真は父の育ててる布袋葵)


この記事が参加している募集

振り返りnote

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?