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きっと誰もが「何者」でもなくなる

最近、ネット上の記事で「何者にもなれなかった」的な記事を読んだ。私もそうだけど、人間、「何か」になりたい欲求って少なからず持っているものですよね。

「何者」とはそもそもなんだってことだけど、偉くなることなのか、憧れの職業になることなのか、肩書きを持つことなのか。結婚することなのか、誰かと付き合うことなのか、人気者になることなのか。いろいろよね。

いずれかだとしても、それらの輝かしい「何者」肩書きは、その席から降りた瞬間に間違いなく何者でもなくなるんだよね。どんなに輝かしい記録、成績を残した人であっても、偉~い要職に就いていた人も、辞めてしまえばただの人。むしろ、その肩書きがあったらゆえに普通になれない人もいるかもしれない。

何者にもなれなかったと悲観するなかれ。誰もが歳を取れば間違いなく何者でもない普通の人になる。例外があるとすれば、生涯俳優さんとか、職人さんとか、何らかの免許がある人とか、そういうのを望んだ人だけだと思うよ。

お金と一緒で、肩書きなんて死んでもあの世に持っていけない。人間の価値は肩書きじゃないし、時々引退したのに、いつまでも肩書きにすがろうとしているおじさんとかが「俺は昔○○だったんだぞ」と言うけど、は? だからなに? という気分になる。私にとっては目の前の人はただの○○さんなだけなんですけど? と思うのよね。

肩書き=自分、ではないと思うの。

それでも何者かになりたければ、職業を目指すんじゃなくて、行動=自分でいいんじゃないのかなと思う。中高年になってつくづく感じる。どんどん社会的ないろんな肩書きらしきものは削ぎ落とされていくだけだし、もっと歳を取るとできないことが増えていく一方で、肩書きよりも感情や行動しか残っていかない気がする。

だから心配するな。みんなもともと「何者」でもない。人生の途中で何度かそれっぽい「何者」かになったりならなかったりするだけよ。そして人生の後半は「何者」でもなくなるから。

今の自分がそうだ。私もずっと何者かになりたかったし、正直ちょっとだけくすぶっている自分もいるのは認める。考えてみれば、みんながみんな、何かに成れるわけでもなし、誰かに認められなくても、「自称何者か」には成れる気がするよ。

自分の中で何でもいいから何かを成し遂げれば、「自称何者か」になれるんじゃないかな。ダイエットに成功したら、自称ダイエットに成功した人だし、DIYで棚を作った人でもいいし、自転車で30キロ走った人でもいいし、マラソン大会完走した人でもいい。そういうことなら今からでも誰でも何者かになれる。

そう考えたら、今からでも無限の可能性がある気がして、ワクワクしてくるね。

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