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【3分小説】律儀な悪魔

 真っ暗な部屋にロウソクの火が揺らめいていた。部屋の真ん中には円形をベースにした幾何学模様が描かれた布が敷かれている。開いて置かれた古びた本を前にして、一人の青年が正座をした状態で祈るように両手を組んでいた。青年は真剣な面持ちで目をぎゅっと閉じていたが、突然目を開けると低く厳かな雰囲気で声を張り上げた。
「ランランチョムチョム!」
 発声と同時に青年は両手を開いて上方に広げた。そのまま青年は動きを止めた。静寂が辺りを包む。しばらくして、青年は緊張を吐き出すようにため息をついた。
「やっぱりダメか……」
 青年は目の前の本に目を落とした。本のタイトルは「魔人降臨における種々の考察」。学者だったという曽祖父の部屋にあった本だ。願いを叶えてくれる魔人の伝承について長々と記されており、最後の方に魔人を呼び出す儀式の方法も記載されている。青年はわらにもすがる思いで、一応、念のため、万が一本当の可能性にかけて儀式を再現したのだった。
「結局この本はでまかせだったな……」
「確かに、私は魔人ではなく悪魔だしな」
 青年は本から目線を外し正面を見上げた。50センチメートルくらいの生き物が宙に浮いている。小さいが見た目は人間の大人と同じだ。
「あなたは本当に悪魔なのですか?」
「その通り。それで、願い事があるんじゃないのか」
 青年は状況が飲み込めずしばらく返答ができなかったが、少ししてためらいながら答えた。
「A学校に入学したいです」
 すると悪魔は大笑いしながらくるくると回りだした。
「小さい願いだなー。健全健全!」
 青年は少しムッとして言った。
「何か問題でもあるんですか? 僕にとっては一大事なんです」
「いやいや褒めているんだよ。これまで願いを叶えた奴らはみんな金か地位か異性のどれかだったからな。飽食の時代の若人というものは素晴らしい」
 悪魔はひとしきり笑った後で動きを止め、青年の方を向き直った。少し真剣な顔つきになっている。
「願いは叶えてやる。ただし、悪魔が願いを叶えるのに何も代償が無いとは思っていないよな?」
 ごくり。青年は唾を飲み込んで言った。
「寿命……とかですか?」
「当たらずとも遠からず。代償はお前の時間だ」
「時間?」
 青年はポカンとした顔でつぶやいた。青年が理解できないのは予想通りとばかりに、悪魔は流ちょうに疑問に答えた。
「そう、時間だ。どうやらA学校はお前の学力からすると、相当上のレベルの学校のようだな。そうなるとお前の願いを叶えるのは簡単にはいかない。必要なのは時間、お前がA学校の試験合格ラインまで到達するための勉強時間だ」
 悪魔は呆けた顔のままの青年をよそに、ニヤリと笑って続けた。
「さあ、試験まで猛勉強の始まりだ。なに、心配はいらない。お前には悪魔がついているのだから」


 その日から勉強漬けの生活が始まった。悪魔は常に青年のそばを離れず監視しており、青年は空き時間を全て勉強に捧げていた。どうやら悪魔は他の人には見えないらしい。
 もちろん、息抜きにゲームをしたりテレビを見たりしようとしたことはある。しかし、その度に体が意に反して動き、気が付くと学習机の上に参考書を広げているのだ。どうやら悪魔は青年の体を操れるようだ。さすが悪魔というだけはある……。
 友達から遊びに誘われても、勝手に口が動いて適当な理由で断っている。結果、数ヵ月もすると青年を遊びに誘う友達はいなくなっていた。
「少しくらい遊んだっていいじゃないですか」
 このように青年が不平を言っても、悪魔は軽く受け流すのだ。
「残念ながらそんな時間はない。私は悪魔の誇りに懸けてお前の願いを叶える必要があるからな。恨むんならこれまで勉強しなかった自分自身を恨め。それに人間と遊ぶより悪魔と会話する方が楽しいだろう?」
 青年はふてくされた顔をしたが、悪魔との時間は悪いものではないのは事実だった。青年は不思議と悪魔に親しみを感じていたのだ。それに、悪魔は勉強を教えるのも上手だった。


 そうして月日が過ぎ、いよいよ試験当日になった。青年は試験会場に向かう道すがら悪魔につぶやいた。
「どうせなら悪魔が試験中に答えを教えてくれたらいいのに」
「馬鹿言うな。お前が自分の力で合格を勝ち取らないと、ちゃんと願いを叶えた気にならないだろう。試験はお前一人で受けるんだ」
「ケチな悪魔だな」
 青年は笑った。悪魔も笑った。青年は試験会場の入り口の前で立ち止まった。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ああ、行ってこい。お前は必ず合格するよ」
 青年は一度うなずいた後、悪魔に背を向けて試験会場に入っていった。


 補欠合格。それが青年の試験結果だった。入学を辞退する人が一定数現れないとA学校に入学することはできない。それでも悪魔と出会う前の青年の学力からすると大金星といえる結果だった。あとは天に祈るのみだ。
 実は入学試験の日から青年は悪魔を見ていない。もうお役御免ということなのだろうか。今の不安な気持ちを紛らわせたいのに……。しかし、青年は悪魔が言った「お前は必ず合格する」という言葉を心の支えにして良い知らせを待った。
 幾日かして青年のもとに入学許可を知らせる郵便が届いた。本当に願いが叶ったのだ。
「お礼くらい言わせろよ」
 青年は合格の喜び浸りながらも少し寂しげにつぶやいた。


「さて、最後にもう一仕事するか」
 悪魔は独り言を言った。青年が補欠合格の結果を受け取った頃のことである。悪魔としては青年が合格すれば最高の結果であったが、補欠合格でも上々の出来だと想定していた。不合格よりは仕事が減る。
 悪魔はA学校で合格者の名簿を確認した後、近場の合格者のもとへ訪ねて行った。そして、合格者の体を操りA学校へ入学辞退の連絡をさせた。一人、また一人とA学校の入学者が減っていく。それは、青年が繰り上がって入学できるようになるまで続いた。
「悪魔は天には祈らないのさ」
 多くの不幸をもたらしながら、たった一つの願いを叶える。悪魔は使命を全うしたのだった。

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