【3分小説】悪い虫
—― A ――
私の名前はA子。
愛しの彼はB男さん。彼を見つけたのは、先日夜の海沿いを散歩しているときだった。夜の海は広く、深く、真っ黒で、気を抜くと吸い込まれそうになる。
その時の私はそのまま吸い込まれてもいいかな、なんて考えていた。特別嫌なことがあったわけではなく、むしろ特別なことが何もなかったから。
だけど、出会った。B男さんと。一目見てこの人が私の運命の人だとわかった。
黒いジャケットを着崩し、タバコをふかして夜の海を眺めていたB男さん。どこか影があるというよりは、影を従えているような力強さを感じた。もちろん、その時は名前も知らなかったけど。
ああ、私もその黒い魅力で一生従えてほしい。
—― B ――
俺の名前はB男。
今は一仕事終えて帰路についている。いつも以上に周囲を警戒しながら。
最近誰かに後をつけられている気がする。しかし、確信はない。経験からくる感覚だ。もし、本当に後をつけられているとすれば、相手は相当尾行に慣れている奴だろう。
一体誰だ……? いろいろと想像が巡ったが、誰であれ俺に好意を持っている奴でないことは確かだろう。警戒しなければ。
俺は遠回りをしてできるだけ人混みに紛れながら帰宅した。いつものように、郵便受けをチェックすると一通の手紙が入っていた。
業務で使うような封筒ではなく、長辺側が三角に封されたレターセットという言葉がぴったりな封筒だった。
俺は封筒を手にとって視線を落としながらリビングに向かった。封筒自体は白無地で簡素なものである。封の部分の小さな赤いハートのシールを除いては……。
「気味が悪いな」
俺は感じた不気味さを振り払うかのように呟いた。ストーカーだろうか?この俺に?
「警察に相談しようか」
声に出したあと、自分が交番に向かうところを想像して少しニヤリとしてしまった。悪くない冗談だ。
俺は赤いハートを破り、中の文章を読んだ。読むといっても、白い便箋に丸っこい字で一言書かれているだけだった。
『ずっと見ています。』
—― A ――
B男さん、お手紙を読んでくれたかな。いざお手紙をだすとなると何を書けばいいのか悩んでしまって、結局一言しか書けなかったのが心残り。本当はこんなにも、こんなにも胸の内にあふれる思いがあるのに……。やっぱり言葉にするのが苦手な私は、行動で愛を示すしかないなと感じる。だからこうして、今日もB男さんを見守っている。
「今日はここ、か……」
私は手元の日記帳に「Rビル」とメモしながら呟いた。
B男さんをしばらく見守っていたことで、よく行く場所は大体把握できた。Rビルは郊外のさびれた雑居ビルだ。このビルではたぶん何か集会のようなものが行われているらしい。
おそらく社会的にはよくない集まりなんだろうな。ちょっと前に盗聴器を仕掛けたとき、なにやら物騒な単語が何度も飛び出していたし。
きっと、B男さんは魅力たっぷりだから、危ない人たちに担ぎ上げられているんだろう。B男さんの周りにたかる羽虫たち……。
もちろん、どこか危ない雰囲気もB男さんの魅力なんだけど、そそのかされて警察に捕まるとB男さんに会えなくなっちゃう。それはとても困る……。
私はビルの入り口を眺めながらじっと考えた。最近集まりの回数が増えている。そろそろB男さんたちは行動を起こすかもしれない。そうしたら、きっと牢屋に入れられるだろう。早くなんとかしないと……。
B男さんを連れてどこか遠い所にいこうか? でも、きっとお仲間が捜しにくる。いっそ心中する? でも、年をとったB男さんも見てみたい。ぐるぐるといろんな考えが浮かんでは消えていく……。あーもう、私らしくない!
「とにかくB男さんは誰にも渡さない」
—― B ――
俺は家のリビングで煙草をふかしていた。いつもより煙草の消費が速い。さすがの俺も緊張しているようだ。ついに明日が決行の日なのだから。
目をつむって、頭の中で明日の動きをシミュレーションした。うん、大丈夫なはずだ。こんな風に明日のことを考えては、問題ないと何度も自分に言い聞かせていた。
目を開けると机の上の手紙が目に留まった。破れたハートの封の上に白い便箋が乗っている。2度目の手紙も一言だけだった。
『応援しています。』
タイミングが良すぎて気味が悪かった。もしかしたらこれは脅しなのかもしれない。俺達の計画は全てばれているという警告……。
だが、やめることなんてできない。俺はこのために準備をしてきた。これは人生の集大成なのだ。命を賭す価値がある。
俺はとっておきの酒を棚から取り出した。景気づけといこう。片手でグラスに注ぎ、まずは一杯ストレートで胃に注ぎ込んだ。
—― A ――
私は合い鍵を使ってB男さんの自宅に入った。B男さんはソファでぐっすり眠っている。机にはB男さんお気に入りのお酒が置いてあった。私が睡眠薬を入れたお酒だ。あのお酒を飲んだということは、B男さんはやめるつもりはないんだろう。
ああ、志に命を懸ける素敵なB男さん。ちゃんとあなたは守るから。
—― B ――
目を覚ますとテレビが点いていた。ニュースレポーターの騒がしい声がする。映像がどこか見覚えのある場所だったので、俺はテレビ画面に少し注意を向けた。テロ組織S会の組員一斉逮捕、というテロップがでかでかと映し出されている。
俺の組織だ! 男はすぐさま体を起こそうとしたが、思い通りに体が動かず大きな音を立てて男は床に倒れた。自分の体に目をやると、四肢が椅子にロープでぐるぐる巻きに固定されている。口元もガムテープか何かで閉じられているようだ。
テレビ画面は見えなくなったがレポーターの声が聞こえてきた。
「昨日未明、S会の組員が一斉逮捕されました。拠点には爆発物とみられるものが発見されたとのことです。周囲は立ち入り禁止処置がとられ、警察関係者が慌ただしく出入りする様子が確認できます。なお、首謀者の男は逮捕されていないとのことです」
俺は呆然としながらテレビの音を聞いていた。混乱して内容が入ってこない。
ガチャとドアの開く音が聞こえた。
—― A ――
ガタンと大きな音がした。きっとB男さんが起きたんだ。私はB男さんがいる部屋のドアを開けた。B男さんが机のそばに倒れている。
B男さんは私に気が付いてこちらに目線を向けた。私は嬉しくて舞い上がりそうな気持ちを抑えて、にっこり笑って優しく声をかけた。
「もう大丈夫。悪い虫は取り除いたからね」
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