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【3分小説】訪問販売

 ピンポーン。
 スーツ姿の男は呼び鈴を鳴らし、ドアスコープにむかってにこやかな笑顔を向けた。男は訪問販売のセールスマンであった。支店での営業成績はトップ、まさに営業のエースだ。
 男はしばらく待機して、もう一度呼び鈴を鳴らした。さらに10秒ほど待機したが家人が出てくる様子はない。しかし、男は初めに呼び鈴を鳴らした際に家の中から物音がするのを聞いていた。おそらく居留守だろう。そこで男は大きな声で呼びかけた。
「サトウさーん! 先ほど窓からチラッとお姿を拝見したのですが、大丈夫ですかー?」
 そしてもう一度呼び鈴を鳴らす。ここは最近開発された住宅地の中のよくある一軒家だ。こういった地域では、あえて大きな声でよびかけるとご近所さんの噂に上ることを懸念して人が出てくることが多い。


 予想通り扉が開けられた。チェーン越しにいぶかしげな表情をした男性の顔が見える。おそらくこの人が世帯主のサトウさんだろう。この家に伺うのは初めてなので顔は見たことないが、ローマ字表記の表札が入り口にかかっていたため苗字は把握している。年齢は30歳過ぎといったところか。サトウさんは不機嫌な様子を隠さずに話しかけてきた。
「済みません。今忙しいので後にしてください」
「まあそうおっしゃらずに! お話だけでも聞いてください。3分で終わりますから!」
 男はまたしても大きな声を張り上げ、さりげなくドアが閉じないように足を滑り込ませた。3分あれば商品を売ることができる。男は自分の営業の腕を信じていた。サトウさんは諦めたようにつぶやいた。
「長居はさせませんからね。それで何の用ですか?」
「はい、正直に言えば訪問販売でして、金庫を売って回っているところです」
「金庫ですか?」
 男はサトウさんの目に興味の色を見て取った。男はここぞとばかりに畳みかけた。
「今日持参した金庫は最新のセキュリティ技術を採用しており、貴重品や重要書類を確実に守ることができます。耐火性能や耐水性能も備えており、万が一の火災や水害時にも安心です」
「まあ、よくある金庫ですね」
「もちろんそれだけではありません。この金庫には指紋認証システムも搭載されており、不正アクセスを防ぎます。設定も簡単で、誰でもすぐに使いこなせます。ボタン一つで開閉できるので、使い勝手も抜群です」
「指紋認証の金庫ですか。そういえば、まだ直接触ったことがないな……。現物はありますか?」
「もちろんです!」
 男が大きなキャリーケースから金庫をのぞかせると、サトウさんはチェーンを外しドアを開いた。男は販売を確信しながら金庫を玄関の上がり口にドスッと置いた。サトウさんは腰をかがめて金庫をいろいろな角度から眺めている。サトウさんは金庫に視線を向けたまま男に話しかけた。
「試しに私の指紋を設定してみてもよいでしょうか?」
「いえ、これは売り物ですので……」
「じゃあ、買います」
 男は思わず本当にいいんですか? という言葉が出かかったが、それを飲み込みありきたりなお礼の言葉を語った。あっさり商談が成立してしまった。初めは警戒していたのにこんなに簡単に即決するなんて……。しかもまだ価格さえ伝えていない。


 サトウさんは自分の指紋を設定した後、金庫を開けたり閉めたりを繰り返していた。何やら開錠や施錠の際の音も聞いているようだ。サトウさんは金庫マニアだろうか? 世の中いろんな人がいるものだ。
 サトウさんはしばらく金庫をいじくりまわしていたが、突然手を止めて思い出したように男に話しかけた。なぜかは分からないが、サトウさんの声には焦りの様子が感じられた。
「ああ、忘れていました。代金をお渡しするので帰ってください。いくらですか?」
「はい。30万円です」
 男は内心警戒しながら金額を伝えた。高額な商品だ。やっぱり買うのをやめます、なんて言い出しても何ら不思議ではない。
 しかし、サトウさんはすぐさま手元に置いてあった大きなカバンのファスナーを開け、中から紙幣を取り出した。そして、素早い手つきで枚数を数えると男に押し付けるようにして差し出した。
「これでいいですね。では、さようなら」
 男はあっけにとられた。まさかこんな大金がすぐに出てくるなんて……。そのまま男はサトウさんに追い出されるようにして家を後にした。


 販売員の男がいなくなった玄関で、サトウさんは購入した金庫に目を落としながら一人つぶやいた。
「やってしまった……。初めて見る金庫に触れると、どうしても研究したくなってしまう。これは職業病だろうな」
 サトウさんは手元のカバンに視線を移した。30万円分の紙幣は金庫に変わってしまったが、それでもまだ充分な紙幣が詰まっている。
「まあ、終わったことは仕方がない。あの販売員が別の家に入った頃合いを見計らってさっさとずらかろう」



 ガチャ。サトウは鍵を開けて家の中に入った。帰宅して安心したからか、今日一日の仕事の疲れがどっと押し寄せてくる。そのまま重い足取りでリビングに向かうと、庭先に面した窓が一部割られていることに気が付いた。
「まさか泥棒?」
 サトウはすぐさま金庫の方に目をやった。古びた金庫が空っぽの口を大きく開け放っている。その隣には、奇妙にもピカピカの真新しい金庫が鎮座していた。

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