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ACからの脱却⑤欲求と夢がない。HSS型HSP+ACスナックママの人生ブログ

こんにちは。スナックママあんこです。

以前に、「愛」の概念がわかるまで。を書きました。
今日は、「夢」の概念がわからなかった話です。


欲求?要求?わがまま?夢?

子供の頃は、
トイレに行くとか、咳をするとか、ご飯を食べる、といった、欲望以前のものであっても制限されていた。

修学旅行に行きたい、友達と遊びたい、みんなと同じ教材を使いたい、などは、土下座するなどして条件付き許可だった。

ジュースを飲みたい、髪を伸ばしたい、友達を家に呼びたい、誕生会に呼ばれたから行きたい、みんなが見てるテレビを私も見たい、
のレベルは許可されなかった。

この図↓でいうと、1層目すらどうかなあ。

マズローの欲求5段階層

なので、
「きっと楽しいからコレやろう!」
とか、
「こんなの着てみたい!」
とか、
「どこどこに行ってみたい!」などは、一度もしたことも考えたこともないまま大人になった。



私は高校生の頃から生活費のためにアルバイトをしていたのだが、
そのアルバイト先も、
親が指定して就職した先も

「都内に通って楽しまれたらかなわん!」
家から15分で通勤できるので、「はよ、帰って家事してもらわんと。」という理由で…

夢の国 ディズニーランド!

しかし、まったく「夢」って、なんのことかわからなかった。


何かを望むことは、卑しいこと図々しいことで、それを口にするのはみっともないことで悪いことだと思ってた。

いや、今も思っている。

「何々がしたい」「何々が欲しい」は、ワガママとどう違うのか、

正直、わからない。



今は、欲求5段階層の、2層目以上も欲求を満たせるようになった。

トイレも制限されないし、友達と遊んでもいいし、こうやって私の思いを誰かに伝えたいと思えばブログも書ける。

だけど、誰かに「何々してほしい」と言うことは、今もできない。
ワガママかも?と思うとできない。

今、自分でワガママと区別してる基準は、「それらの欲求を“自分”で満たすか、“他人“にやってもらうか」で分けてる気がする。

ワガママと甘えの違いもわからない。

甘えた事がないのだから、
“甘える”の概念はないかもしれない。

一生甘えられない可哀想な女かも🥺ピエン


しかし、

「夢」はわかる!

他人に満たしてもらうことじゃないからわかる!

いつ頃から「夢」の概念ができたか、
というと、

なんと、今年に入ってから!
54歳でやっとわかったの。

遅っ!

さっきの図でいう、一番上の「自己実現」ができたのが去年ぐらいだから。

みんなは、小さいステップであっても、人生のどこかで自己実現を体験して、そこで次の夢を設定して、実現して、、ってやってきてるのかもしれない。
もっと大きなステージに行きたい、って転職したりしてね。

でも、私は今まで、「何々をしたい」と思って何かをしたことがなかった。

言ってみれば、
「何々するしか術がなかった。」
「何々しか選べなかった」
という人生で、
目の前のことをただこなすだけで生きてきた。

そんな中でも、スナックで働きながら、結婚もして子供もできて、社会的に繋がり、自分の役割を承認され、3段目、4段目も満たされるようになって、

5年前に「スナックのママになるしか術がなかった」という流れでスナックをやって、
1年前に「小料理屋をするしか選べなかった」という流れで小料理屋をやった。

経緯は流れ任せだったが、その中で、独自の運営方法で、市内でトップの有名店にできて、自己実現できた。

そして、人生で初めて、いま、「夢」を持ってる。


夢って、今の現状の延長上に見えてるものではないよ。
それは、目標とか、予定って言うんじゃない?

「夢」って、今の自分からは想像つかないし、どうやって叶うのかも考えられないところにあるもの。

だと思う。


最後に

でもね、「夢」のかたちが、まだはっきりしない。場所はわかるけど、かたちが見えない。点…点…点って感じ。

それでも、「私には夢がある」と言えるだけでもすごく嬉しい。

少なくともここではない、あの辺りだ!
と、そっちの方向に踏み出す事ができるようになっただけで嬉しい。
そっちに進めば自ずと見えてくるって確信できる。

夢を追いかけるとか、夢のカタチとか、そんな言葉の意味がわかるようになった、つまり「夢」の概念がわかったことが、本当に嬉しい。

またねー。

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