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HSPという言葉に出会うまでの私②歌に救われた中学〜高校時代

(前回の続き)

中学1年生のとき、教室に行かなくなり、休んだり相談室に通うようになった。

2、3年では仲の良い幼馴染と同じクラスになり、体調が悪くなり遅刻早退を繰り返す時期もあったものの、教室に行けるようになった。

私は歌が昔から得意だったので、3年生の時には文化祭で全校生徒の前でダンスと歌を披露した。とても楽しくて、みんなが感動してくれるのが嬉しかった。
自分で企画して文化祭で何か披露する人は、私が史上初だったらしい。
でも、とにかく楽しみで、大して勇気も何も必要ではなかった。
そういえば私は昔から、自分の得意なことや好きなことにおいては、人目を気にせず何でもすることができた。

学校を休んでも、遅刻早退が多くても、相談室に通っても、勉強はやり続けた。
「1人で勉強して、テストでこの点数は凄い」と先生に褒められたこともあった。
プライドが高かったので、テストの点数や学年順位が落ちることは避けたかった。

その結果、落ち着いた雰囲気の進学校に進学することになった。
担任の先生からも、「あんこはギャルみたいな子は苦手だと思うし、この学校だったら割と少人数で似た雰囲気の子が集まるから、あんこに良いと思う」と勧められた学校だった。

高校生になる数ヶ月前から、私は意気込んでいた。
「高校ではテンション高めに、明るく明るく」

いざ高校生になり、最初はなんとなくグループの1人になり、「楽しい」と感じていた。

でも数週間後から、グループの子が
「あっちの違うグループの子とも仲良くしようよ」と言い出し、大人数の女子でご飯を食べたり移動したりし始めて、私はどうしていいかわからなくなった。

最初に「これなら楽しいかも」と感じた形が崩れると、私はいつもたちまちどうしていいかわからなくなる。
他の人が加わることでグループの雰囲気が変わり、私はそれに戸惑う。

どう自分を出していいかわからなくなり、わざと面白い風のことをしたり言ったりしてみるけど、空気が白けてる気がして…みんなのノリについていけなくなった…。

自分が話した時の相手の表情や空気を感じるのが怖い…もう何を話して良いのかすらわからない…。

学校にいても、自然と涙が流れてくる。
私はまた真っ青になってしまった。

家に帰ると母が異変に気づき、
「どうしたの」と声をかけてくれた。

また中学の時のような思いを母にさせると思うと申し訳なかったし、またこんな状態になってしまったことを、自分で残念に思った。

母に話を聞いてもらい、一旦気持ちが整理でき、その後は学校に通うことができた。


高一のとき、NHKの一般人が参加する某歌番組で歌を歌った。
その回のチャンピオンに選ばれ、年末にはNHKホールで歌わせてもらえる機会ももらった。

それから私の音楽活動が始まった。

そのおかげか、学校でも「歌が上手い子」というイメージが付き、自分を表現しやすくなった。

歌に救われた。

ところで、高校生になった途端にみんな大人になった。
中学ではみんな異性を苗字で呼び捨てで呼んでいたのに、異性同性構わず苗字に「さん」をつけるのが当たり前。
男子もみんな落ち着いていて、女子との関わり方に適度な距離感がある。
不思議な気分だった。

年齢や集団によって、当たり前のように空気が変わっていくことにも、いつも戸惑っていたなあ。
みんななんでそんなに、流れによる変化を受け入れられるのか、わからなかった。

(次回に続く)

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