見出し画像

インフルエンサーへの劣等感

最近、本を読むことが増えた。書いた人の生き方や考え方、思想を知ることが出来ると分かったからだ。昔、おばあちゃんにこのことを言われてよく理解できなかったが、今ならわかる。ついこの間、言っていたことが分かるようになったと、おばあちゃんに直接伝えたら、とても喜んでくれた。

ところで、本を読む機会が増えると、自然と好きな筆者や作家が自分の中にできる。
本に限らず、気になる文章や記事もよく読むようになった。Twitterやこのnoteで情報や日常の気づきなどを発信する、特定のユーザーにも最近は注目している。noteを使っている皆さんなら、よくわかる気持ちではないだろうか。

普段は、自分にとって大きな気づき、感銘を受ける文章を記事や本の中からよく読んで探し出し、勉強になったと充足感を得る。しかし時として、良い内容のものを読んでいると非常に嫌悪感が生まれることがある。たとえ、好きな作家やユーザーであってもだ。

なぜなら、とても悔しいからだ。現在インフルエンサーとして、もてはやされている人たちによる有益な情報や、その人たちの自由なビジネス、楽しみながら仕事をし、夢を追いかけている姿などを見ていると、なんだか心底ムカついてくる。

もちろん、いつもそう思っているわけではない。時々、ふとそう感じてしまう。自分だって本当はそうありたい。けれど真似もしたくない。

自分は今大学3年生で、社会人として生活するのはまだこれからのこと。この感情を抱くには少し早い気がするが、それでも劣等感を感じてしまう。本当にめんどくさい感情だと、自分でも感じる。

正直、成功しているビジネスをしていても、それは違うよなと感じるビジネスをしている人もいる。皆、よくそれを支持できるよな、と思う。
というより、自分がちゃんとそのビジネスを理解していないだけかもしれないし、また自意識や自己顕示欲にまみれて、他人の「良い」を認めてないだけかもしれない。

今、以前よりも自分に自信がつくようになってわかった。
人は、自分より優れている他人の「良い」を認めることで、自分に自信を持つことができると感じた。むしろ認めない限りは、自信をつけることすらできないと思った。

今でもたまに、感心とともに悔しいと感じることがある。けれどその度に、その良さを認めるようにしている。認めると、一つ一つ自分が成長の階段を上っているような気がして、気分が高揚する。

そういえばさっき、読んでいて悔しい記事があったから、読み直して認めてこようかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?