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カレーに生卵

昔々、勤めていた会社は中小企業で、一応社員食堂があった。
とはいえ、社員食堂とは名ばかりのような「まかない」くらいのイメージ。メニュー選択の余地はなく、日替わりで出されたものを食べる。
基本的に月極で、利用者は料金を給料から天引きされるシステム。けれど、単発でも1回200円で食べることができた。私は時々、単発で利用をしていた。
もちろん月極社員が優先で「余ったら単発の人も食べていいよ」という感じ。利用する時には月極メンバーがある程度出揃った頃を見計らってから利用していたけど、おかずが残らなくて食べれなかった、ということはなかったと思う。

こんなこと言ったら身も蓋もないけど、決して人気のある内容ではなかった。

作っていたのは「食堂のおばちゃん」。そう仲間うちでは呼んでいたけど、1人のおばちゃんによってそれはまかなわれていた。聞けば、かなり古くからの従業員というかスタッフというか、食堂専任で雇われている人だけど、どうも調理師とか料理人とか、そっちの方の人ではないらしかった。まぁそれは献立を見れば一目瞭然だったけど。

食事の内容はどんな感じかというと、ご飯、味噌汁に惣菜2〜3種といったところで、メインが既製品の揚げ物やら焼き魚やらで、加えて簡単な手作り惣菜などがつく。簡易なキッチンだったから、確かに大量に凝ったものを作るのが難しいのは理解できた。でも率直に言って全体的に「雑」という印象。切るだけ盛るだけ、みたいなものも多いんだけど、切り方も盛り方も味もぜんぶ「雑」。200円で食べれるのはありがたかったけれど、「これはちょっと」な日もあり、メニュー見て食べるのをやめることもあった。月極にして毎日食べるのは厳しいな、と思っていた。

何でこんなに雑なんだろう?
ちょっとの工夫で変わるんじゃない?
料理嫌いではない私はそんな風に考えていたけれど、どうもそれはおばちゃんの給料体系に関係していたようで、時給ではなく「1回いくら」という計算だったらしい。それだったら確かに、できるだけ時間をかけずに作った方が得といえば得である。そんな裏話もどこからともなく耳に入るのであった。

そして私が最初に利用した時から、内容はどんどん劣化というか、既製品比率がどんどん高くなっていった。手作りしていたのはもしかしたら味噌汁だけ?みたいな。最初の頃はもうちょっと手作りの惣菜があったような。

まぁ単発で利用していた私は他に選択肢があったからよかったものの、月極社員たちの間でふつふつと不満が募ったらしい。

そしてある時、ついに社員の有志?一同が、自分たちで宅配弁当を手配するという暴挙に出た。

どれくらいの人数がなびいたのか知らないけど、会社の偉い人からおばちゃんに内容について指導が入ったとか入らなかったとか、おばちゃんが怒ったとか怒らなかったとか、とにかく社員食堂にまつわる噂が駆け巡った。

そして、その暴挙の結果。
社員食堂のおかずが、ちょっと丁寧に、豪華になった。既製品は既製品なりに、なんか品数が増えた。無愛想だったおばちゃんが話しかけてきたりした。
私はそのちょっと豪華になった恩恵を受けてほくほくしていた。でもその頃にはもう退社目前だったけれど。

そんな社員食堂では週に1回、カレーの日があった。普通のルーを使った日本のカレーなんだけど、それがすごく、濃い。「もうちょっと水入れたらいいのに」と内心誰もが思うくらい固めのルーにしょっぱい味。

そのカレーの日にはどんぶりに盛られた卵が置いてあって、自由に食べていいらしく、見ると、カレーに卵を落として食べている人がいる。生卵だった。
「カレーに生卵か」
真似してやってみる。卵を入れることでしょっぱさも固さも緩和されちょうどいい。
「卵入れると美味しいかも」
それから私は社員食堂のカレーを食べる時には毎回卵を落として食べた。
濃いしょっぱいと、あまり好評ではないカレーだったけど、その生卵入りカレー、私はけっこう気に入っていたのだった。

そしてあるカレーの日。食堂のおばちゃんが何か所用があるということで、通常は食後の後片付けまでが仕事のところ、食事の準備だけして早退した日があった。
すると、事務パートのおばちゃん2人が、食堂のおばちゃん不在の調理室で何かごそごそやっている。「何やってるのかな?」と思ったら、後でその謎が解けた。
濃いカレーに水を足して、薄めていたのだ。
再調理されたカレーは、とろっとして、いつもの固くてどろりとした質感とは全然違っていた。一般的にはこれくらいの濃度が普通かな?という感じに仕上がってはいた。

でも。
美味しくなかった。
薄めないいつもの方が美味しかった。

食堂のおばちゃんの味に洗脳されてしまっていたのか。

おばちゃんのいない所で勝手にそんなことした行為にどこか反感を覚えたのか。

でもそんなことも1回限りのことで。その後も変わることなく、固くてしょっぱいカレーは続いた。

その後どうなったかな。

辞めてもう随分経つ。

このご時世、そんな形での社員食堂はもう残しておけないんじゃないかなと思う。

私が知ってる社員の人なんて、もうほんの一握りしか残ってないだろう。

社長はかなり長生きされたようだけど、少し前に訃報を耳にした。

思えば、あの規模の会社で社員食堂があったのは、その会社なりの家庭的な配慮だったんだろうな。今振り返ったらそう思える。

手抜きだとか言ってた食堂のおばちゃんだけど、短い時間で済まさなくてはならないような、何か事情があったかもしれないよね。

また食べてみたいような。
みたくないような。

とにかく今日はカレーを作ろう。

普段は割とあっさり目に作ってしまうけど、今日は濃くしょっぱく作る。

そして生卵を混ぜて食べる。

さぁカレーを作ろう。

食堂の味に思いを寄せて。

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