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「評価されたい・結果出したい」から「一緒に楽しみたい」の時代

今まで「何かやりたい、やってみよう」と思った心のその奥には
「評価されたい」という気持ちが、実は隠れていたことに、最近気がついた

世間や人に評価されて、何らかの結果を出したい
賞賛とか評判とか人気とか、そこからの利を受け取りたい
自分がやったことが、誰かのためになる、糧になる
それが巡って、自分にも恩恵があるような

無意識にそんな場であろうとしてきた

もちろん、この考えが間違ってる、とかではない

でも何だろう、今はその「結果を求める感じ」にしっくり来ない自分がいる

「やりたい」の動機ってきっと、外に求めるものじゃなかった

そんな風に感じている

本当の「やりたい」って、それ以上でもそれ以下でもなく
ただ単純な「やってみたい」の思いでしかないんじゃないのかな

でもって、結果みたいなものってきっと、本来求めるものじゃなく
後からついてくるものなのかなって思う、やったことに対してのね

だから、結果を求めなくなった今
「やってみたい」と感じることって
けっこうバカバカしいようなことだったりもする

バカバカしいけど、私にとってはグッとくること
一般受けはしないかもしれないけど、私は好き!ってこと
昔から好きで、やりかけてみたこともあった、そんなようなこと

そう、過去にやりかけて続かなかった時はきっと
そこに目的があったから
評価されたい、結果出したいという目的が、狙いが
だから、思うような流れにならなかった時点でストップしてしまった
熱意が続かなかった
結果が出ない、評価されない、その時点で
自分の目的が果たされないってことだから
投げ出してしまった

でも
今は違うんだ

やってみたいって沸き起こる思いって、ほんと単純なもの

ただ、面白そう
ただ、興味が湧く

なんだか知らないけど楽しい嬉しい感じがする

動機ってほんと、そんなものでしかない

そして私のその、単純に面白がってる感じに共鳴して
一緒に遊びたいと思ってくれる人がいたら
ぜひ一緒に楽しんでいきたい
楽しめたらいいな
単純にそう、思ってる
だから逆に言ったら、一緒に楽しめそうにない人にまで
働きかけることはもうなくなる
「みんなで一緒に」ではなく
「やりたい人だけ、ご一緒しましょ」
そんな感じだ

2021年、明らかに言えることは

今までと同じようなことをやっているように見えても
私の動機は全く違う、行動の起点が違う

その発想に違和感を覚える人もいるかもしれない
ふざけてると怒るような人もいるかもしれない

でも私は知っている
その一方で「何それ面白そう」って、思う人が絶対いる
私が本気で面白がって、それをやり続ければ

そして、そんな人たちと、私は楽しみたい

こんな心持ちになったのははじめて

これからどんな風に遊んでいこうか

楽しいこといっぱい体験できるよ

自分さえ、その扉を開けたら

心を解放したら

要らない思いを、手放すことができたなら

「評価されたい・結果出したい」から「一緒に楽しみたい」の時代へ

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