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共感したい

先日読了した本の内容が、あまりにも読前イメージとかけ離れ過ぎていて、釈然としないまま終わってしまった。タイトルや表紙の印象からかわいい感じというか、ほのぼのしみじみストーリーと思っていたのに、まさかのドロドロ展開。一応、最後は問題解決の方向へ収まりはするんだけど、後味の悪さみたいなものが残る。

「みんなこれどう思ってるんだろう?」

気になり過ぎてつい、レビューを探して読む。やはりというか、私とまったく同じような感想の人もちらほらいるものの「面白かった!」と好意的な感想の方が圧倒的、星の数も多い。

そんな中、ある一文に目が止まった。

「…登場人物の誰にも共感できなくて…」

思わずポン、と膝を打つような。
そうそう、それだ!

そういえば以前、同じようなパターンで観た映画で同じような気持ちになったことがあったのだけれど、その映画の内容を振り返ってみても当てはまる気がする。「登場人物の誰にも共感できない」つまらなさというのか。

物語の舞台。
登場人物の考え方とか質。
生い立ちや属性。
人々の関係性。
思考と行動の展開。

そのどれもに「わかる!」が、なかった。少なくともメインの流れの中では。

そしてよくよく振り返ってみると、メインの登場人物の中に誰1人「この人いいな」と思える人物がいなかった。残念ながら好感が、持てない。壮絶過ぎる設定に、気持ちが遠ざかってしまったのかもしれない。

ふと、思う。

「共感できない」って、救いがないってことなのかも、と。

でも、逆に言ったら。

「共感できる」って救いなんだな、とも思う。

知らない誰かの文章〜SNSでも日記でも物語でも何でもいいんだけど〜に、まるで自分のことかのようにハッとすることがある。誰かが表現したその人自身の思いや葛藤が、まるで私のことを書いているかのように思えることがある。

「わかる!」
「私と同じ!」
「私のことみたい!」

沸き起こる、嬉しい気持ち。「自分だけじゃないんだ」と、じんわりする心持ち。

そして逆に、私が発信する文章に対して「すごくわかります」「響きました」という感想をいただくこともある。これまたしみじみ、心から嬉しい。大きな励みになる。力になる。

そう、私は、こんな喜びを、分かち合っていきたい。
共感からくる、繋がっているという思い。

そう、喜びにも色々な形があると思うけれど、「沸き起こる気持ち」というものは、頑張って手に入るものではない。リアルだろうが、何かしら媒体を通じてだろうが、人との触れ合いの中で「起こる」ことだから。自分にできることといったら「起こる」ような環境に、身を置く努力をすることくらいかと、思う。

私はもっと、共感したいんだ。

共感を感じ合える人たちと、繋がっていきたい。
そんな輪の中で、やっぱり喜んで生きていきたい。

人はやっぱり、人と繋がって生きるようにできているんだと強く思うから。

どんな繋がりを作っていくか、それはきっと自分次第。

共感する気持ちを大事にして。

「起こる」ような環境に、身を置く。

私の、できることを。

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