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【らくがき日記、はじめます】etudeなわたしの日常

 らくがき日記、はじめます。
 日々のあれこれを、ゆる〜くつづります。へたっぴなお絵描きも添えたりします。
 日記といいつつ、時系列はあっちへ行ったりこっちへ行ったりします。
 書かれている出来事は全て、実際に起きたこと、もしくは、あん子の頭の中で実際に起きたことです。

 てことで、みなさまも、隣の席の子のらくがきをぼやーっと眺めるみたいな気持ちで、肩の力抜いて、お読みくださいませ。

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2021/6/12

 noteをはじめたらやろうと思っていたことのひとつ。日記を、はじめることにした。

 と言っても、「今日こんなことがあった」とか、「こんなことを考えた」と、日付をつけて記録していくのではそんなにときめかない。

 というか、続かない。わたしはそもそも日記が続かない人間だ。毎日欠かさずつけなければと思えば思うほど、完璧を求めてしまい、結局挫折する。だから最近は、個人的な日記でさえ、書きたい時に書く、というスタンスでやっている。そう決めてからすごく気持ちが楽になったし、自由になんでも書きやすくなった。

 わたしの日記は、気の向くまま、足の向くままに書き足していく、手書きの地図みたいなもの。こだわりは何もない。自分から生まれたものであること、それだけがルール。紙の切れ端に残したらくがきを、クッキーの空き缶に集めるみたいな感覚で、ワクワクすることだけをやってみよう。

 なんて偉そうに言っているけれど、実はさっきまでずーっと悩んでた。日記のタイトル何にしよう?って。覚えやすい優しい言葉がいいけれど、できれば自分の軸になるイメージも織り込みたいなあ。あれこれ手帳に書き出してみても、しっくりくるワードが見つからない。そんな時に、ふと思い出したのが、わたしのnoteのIDにも入れている、“etude“という単語。

エチュード(仏: étude)
練習曲のこと。
絵画や彫刻の制作過程における下絵、習作。
即興劇の一種。
(ウィキペディアより引用)

 インターネットで創作を広げるにあたって、わたしはひとつのコンセプトを決めていた。それが「エチュード」だ。「練習曲」という意味は知っていたけれど、それ以外の意味については、上で引用したウィキペディア大先生の解説文を読んで初めて知った。

 「下絵」、「習作」、「即興劇」。
「エチュード」が意味するそれらの言葉たちは、わたしの中にあった、「こういうものを創りたい」という漠然としたイメージと、気持ちが良いほどすんなり重なったのだ。

 だいたい、わたしの日常は間違いだらけだ。そこらじゅうに書き直した跡やぐちゃぐちゃ消したところがあるし、線も太かったり細かったり、あっちこっち曲がり放題。それは文章でも同じことだ。でも、だからといって、完全無欠を目指したいのかと言うと、そういうわけじゃなかったりする。

 不完全なものに惹かれる。人間らしくて、温度があって。
 不安定な文章に惹かれる。正しい日本語だけでは、心は揺さぶれないから。

 だからわたしも、このままで行こうと思った。まだうまく弾けない練習曲みたいな日々を重ね、ヘンテコな下絵をやりたい放題大胆に描く。しょうもない思いつきも、見捨てないで、形にしてみる。そうそう、つまり「らくがき」みたいに。気負わないで、自由に自由に。

 気楽に行こう、というのとはまた違うんだけど、枠にとらわれすぎると、できるはずのことも、できなくなっちゃう。言葉って、もともとわたしたちの周りをユラユラたゆたっているものだから。言葉に何ができるのか、どこまでできるのか、わたしはまだ知らない。まだ実験中。わたしはいつも、そんな気持ちで、文章を書いている。

 それにしても、言葉のふくらみとは面白い。「エチュード」をたどって行ったら、「らくがき」にたどり着いたというわけだ。軸になる言葉が決まると、イメージも広がる。どんなこと書こうかなあ、と、今はワクワクしている。書きたいなあ、が、書かなくちゃ、に変わったりしないよう、のんびりやってみたいと思います。

 あ、タイトルの由来を書いたから、「あん子」の由来もいつか書こうかなあ。とっても単純だから、予想してみてくださいね。

 また「らくがき日記」で会えることを願って。

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 お読みいただき、ありがとうございました。

貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。