『雑記』①

 「これは何を描きたかったの?」
 は、重く突き刺さる言葉だ。ところが美学研究家の松下哲也氏は、その問いが「コンセプト」や「企画」を対象にしていると述べた。なぜこの構図を選んだのか。なにをコンセプトにしているのか。モチーフは。誰に、何を訴求するのか。氏に従えば、こうした問いに換言されるという。
 一方で次のような言葉もある。
 「なぜ描きたいのか」
 リルケ。カズオイシグロも来日公演のなかで言っていたのを覚えている。描けるようになりたいから描く。好きだから。もっと深く読めるようになるために……。
 
事の起こりは5年ほど前になる。松戸駅から少し歩いた喫茶チェーンで、200円の冷めた、くさいコーヒーを飲んでいたときのことだ。隣にはパイプの着火に悪戦苦闘する、白髪の薄い男。ベトナム語だろうか、アジアの言葉を話す青年たちが、ツバが紫色をしたキャップをかぶって、デカい態度で怒鳴り散らしていた。受験勉強をする女もいた。彼らを背に、窓正面の席で、昼間の駅前を眺めていた。
コップを投げつけてやろうか。
いつまでも着慣れないスーツがだぼついていて、薄く映った窓ガラスに、見る気が失せたのも覚えている。就職面接用に買ったカバンは、3万くらいだったか、ほとんど活躍の機会もなくホコリをかぶっているが、席についたときはまだ現役だったか。大学生の時に買った重たいマックブックを取り出して、書くことのない履歴書の自己PRを書く代わりに、何かを書いていた。

モチーフはウェルベックだ。社会派SFの巨匠が、赤いアールヌーボーをモチーフにした喫茶チェーン店のイメージと色濃くつながっている。
儭染、類似対偶、切断、後説、類似とズレ、無意識のテクスチュアリティ、信頼のおけぬ話者、モチーフの殺菌、混合、自由間接話法。ぱっとあがるこれらの技法を、十分に使いこなすだけで充分ではないだろうか。もっともらしさの演出さえ加われば……。
安心して描くことのできる状態に、自分を持っていかなければいけない。

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