『新鮮』習作①

『新鮮』習作①

 妻が帰宅した。静かに、ゆっくり。寝かしつけた息子をのぞいて、
 「すぐに作るね」
 と髪を縛り、台所で動き出した。買い物袋に、小ぶりのキャベツを下げていた。
 しばらくたった頃、暖かい調理場から妻の悲鳴が聞こえた。
 キャベツのなかに芋虫がいたのだ。芋虫は間抜けな顔でキャベツから顔をのぞかせていた。妻は包丁を持ってあたふたとしていた。切り殺せば再び使えぬ包丁、姿を見れば憎悪に目を背けるといった具合だった。因縁の仇か。
 母親に驚いた息子が泣き出した。泣き出してしまったが、妻はそれを機とみて、
 「台所お願いね」
 とほほ笑んだ。私は少し、這いでた芋虫に情が湧いた。

 大きなカラの水槽を買ってきて、キャベツごと、中に入れてみた。穴から這い出した芋虫が、キャベツを登ったり下りたりしている。隣の部屋では息子が、妻の腕によじ登って、大きな声で泣き続けていた。しばらく芋虫のことを見ていた。
 芋虫は小さな口でキャベツをかじり続ける。食べているのか怪しいくらいだ。それに比べると……。
 「お腹へったのかもー、ミルク作ってあげてー」
 私は、うん、と言って粉ミルクを溶かして渡した。妻が何事もなくそれを飲ませ始めたので、私は再び芋虫に戻った。芋虫は元居たところから少し離れていた。が、その跡には黒い粒粒が、黄緑色のキャベツの上に点在していた。キャベツをちぎって、それをまざまざと近づけて、見た。しかしなんの感慨もわかなかった。ほだされた情が冷めていく。

 息子も落ち着き、夫婦も食卓を済ませた。妻はあたたかい飲み物を両手でそっと持って、オレンジ色に薄明かりの隣室をぼんやり眺めていた。ふいにコップを置き、机に腕を伸ばして頭を乗せた。目線は隣室に注がれたままだったが、少し柔らかくなっていた。

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