ちっぽけなじぶんと老いの話
2週間ぶりに社会人に戻ったらめちゃくちゃ疲れたし、帰ってきてもあんまりなんもできてない、社会人ってほんとすげえよな、どうも晏爾です。
突然ですが、皆さんは小さな子どもと老人、どちらが好きですか?僕は小さな子供です。こんなことを突然言い出したらびっくりしますよね、少なくとも僕がいきなりそういうことを言われたらそいつとは二ヶ月は距離を取ります。誤解を解くために何が言いたいかというと、どっちをより大事にしますか?って話です。
話を戻しましょう、僕は傾向として、自分より下であればあるほど優しく、自分より歳が上であればあるほど厳しくなります。ちょっとやばいな、今回誤解を招きそうな表現が多いですね、都度補足を入れていくことにしましょう。これは別に年下だったら万引きしても他人を傷つけてもいいよ〜ってことでも、老人だからってなんもかも冷たく当たるってことでもありません。要は歳をとっているならそれ相応の価値観の多様性さ、そして寛容さを持ってしかるべきですよね??という前提を持って接していると言う話です。
もちろん僕も思春期はとうに過ぎ去りし過去のもの今や20代も中盤のいい大人です。人間はそんなに完璧じゃない、なんて百も承知です。大人になったら成人になるのなら世界はもっと平和です。それでもどうしてもニュースや普段の生活の中でわがままを言う人たちや店員さんに図々しく喋る人たちを見ると本当に許せないのですね〜〜〜
ただここ数日、仕事柄そういうご老人とよく話すのですがふと、なんでこんなに許せないんだろう、はてアタチはどうしてこんなにも許せずにいるのカチラ?と考えました。一つとしては現在の日本の情勢です。コロナの自粛で大人はなあなあで誤魔化して普通に仕事に行き、子供たち、学生たちにその皺寄せがいくことやそもそもの若者の賃金の格差がひどいこと、そして諸悪の根源ともいえる日本政府ないしその周りのお仲間さんたちの悪政の数々に辟易していること。ちなみに僕は今の日本政府の人間とその周りの人間が全員滅べばいいと思っているヨ!
そしてもう一つ、これが最近気づいたことで、タイトル回収です!すなわち、今の自分がこのままいくと到達する未来にそうなる可能性があるということです。明確な敵を作るのは人生を生きる上で非常に簡単にできる自分を保つ方法です。それはより抽象的で、より規模が大きくて、より弱いとなお良しです。
今の自分は社会人として働いてはいるけれど、社会で呑み込まなきゃいけないものに感覚を麻痺させたり、多様な価値観を新しく取り入れるわけでもなく、家に帰ったり休日ができても、惰性でいとも容易くすぎてしまったり。そんな自分がこのままだと無為になるのが怖くて自分よりも遠いものを凝視しちゃうのかしらん。
ちなみに、こんなに悩んではいますがこれの解決方法はとても簡単です。すなわち幸せになることです。それは相対評価としてではなく、他者の存在が許容できるくらい自分が受け入れられること、受け入れられるくらいある程度満ちていることです。まあ言うだけは簡単なんですけどね????????
なんでまあ、社会人として生きること自体にそもそも未だ慣れていないので、ちょっとずつでも、家に帰ってすること、休日溜まってた作業をすること増やしていって、そんで人生を謳歌していこうやってことで。
そんなここ最近の、自分まだまだちっちぇえな!って話でした!幕!!!
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