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晴れときどきマサラ #8 カタルシスと気高く独り

Proudly single(気高く独り身)という表現が好きです。いきなりですが最初に宣言しておきます。

久しぶりのMCU劇場公開

たびたび触れていますが私はマーベルスタジオのMCUシリーズの大ファンです。なんじゃそりゃという方、「アベンジャーズ」は聞いたことおありでしょうか。地球を守るスーパーヒーローたちで結成されたアベンジャーズと、それぞれのヒーローたちの物語が相互に絡み合いひとつの世界観を作っている作品群をMCU(Marvel Cinematic Universe)と呼ぶのだそうです。

私は3年前からのにわかファンなので、詳しい解説は私もお世話になっているこちらの「Marvelガイド」さんでぜひ。

さてそんなこんなで熱狂しているMCU、ひとつの世代の終焉ともいえる22作目『アベンジャーズ/エンドゲーム』、続く新しい世代の幕開けだった23作目『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』から2年あまり。

当初の公開日程から1年半の長きにわたり延期されてきた24作目『ブラック・ウィドウ』を、公開初日の2021年7月8日の朝イチの回で観てきました。

【以下、ネタバレはないけれどふんわり内容には触れますので未見の方はご注意下さい】

筋トレを始めた笑っちゃう動機

昨年2020年の外出自粛、そして予定していたツアーの全キャンセル。去年はけっこうやさぐれていました。引きこもっていたので大幅増量しました。

大長編の半生記『やがてマサラ』の最後のほうでも書いたのですが、人生が辛かったときに私を支えてくれたのがMCUシリーズの映画でした。

アメリカ万歳のただのヒーロー映画だったらここまでハマらなかったでしょう。人種や国籍や環境のこと、平和のこと、さまざまな角度から生身の人間の苦悩や喜びを扱うドラマだからこそ面白いし、眠っている感情を揺さぶられます。

この外出自粛も私にとって(おそらく世界中の人にとって)大きな試練であり、そうとは気づかずにいる間にすこぉし、心身のバランスを崩していたように思います。

そんななか、なにを思ったか、私が目標にしたのが「よし、ブラック・ウィドウ公開時にはあのムチムチ黒スーツでコスプレして劇場に行こう」という無謀にもほどがある野望でした。

そして気合をいれて始めたトレーニング。大幅増量分は2か月で戻せたものの、そこからブラック・ウィドウへの道はとても遠く、約1年が経とうという現在も目標とする体型ははるか彼方。

延期に次ぐ延期だった映画のほうがやっと公開され、こんなに嬉しいことはありません。しかしボディメイクのほうは、ああ、間に合わなかったな……。

まあ、真夏ですからね。黒スーツを着るにはちょっと暑い。身体を鍛えるのはとてもよいことなので、引き続きトレーニングがんばります……。

2年越しのカタルシス

さて2年ちょっと前に観た『アベンジャーズ/エンドゲーム』。自分でもどうかと思いますが劇場で9回鑑賞しました。そしてその度に同じシーンが切なく胸に迫り涙にくれました。

それはブラック・ウィドウこと元ロシアの凄腕暗殺者であるナターシャ・ロマノフが"It's OK"といって自らを犠牲にするところ。相手は、おそらく友情以上の深いなにかで繋がっているホークアイことクリント・バートン。

このふたりはMCUの出演作品全体を通して、いつもちょっと特別感があるというか、仲よさそうにしていまして。それは暗殺者ナターシャを仕留めに向かったクリントが彼女を殺さず、アベンジャーズの母体であるSHIELD陣営に引き入れた経緯があるから。

ナターシャは暗殺者として育つ過程で子どもを産めない身体にされており、家庭など築く前提がなかった女性。かたやクリントはアベンジャーズを引退後、妻子を持ち幸せな家庭を築いていました。

ふたりのあいだにはいろいろな感情があったはず。男女の感情もあったかもしれない。そこは詳しくは描かれていません。ただ、家庭があるクリントを想い、ナターシャは自分がけっして持てない類の幸せを彼に託し"It's OK"と言い残した、そう解釈したんですよ、エンドゲームのそのシーンでは。美しい自己犠牲だと思いました。だから9回観て9回とも同じ熱量で泣きました(笑)

でも今回、ナターシャの生まれ育ち、そして家族を描いた本作を観て。ああ、ナターシャには、あんなに愛すべき家庭があったのだ、ちょっといびつではあるけど、愛おしく、そして幸せな時間があったのだ。

私は満足している、だから"it’s ok"。

だったのだなと。「孤独な私が生きるより、家族がいる貴方が生きて」という、そういう悲壮感ではなくて、悲しくも温かい悟りの境地だったのだなと。

そんなことを2時間半かけて見せてもらえたような本作なのでした。

Proudly Singleという生きかた

10年の結婚生活を経ていまは麗しき独身の私です。ちょっとした出来心でちょっかいを出そうという既婚男性からの誘いは、この数年、両手では足りない。

これを「モテる」と浮かれてしまえればそれはそれで幸せだったのかもしれないけれど、そうではないことも知っています。すこし人生に疲れて、老いていく手前で束の間ときめきたいオジサンたちのファンタジーにちょうどよい相手なのだろうなと思っています。

生活をともにしていないから、よい部分だけが見える。寝起きのむくんだアラフィフ女性のリアルな素顔にときめくことができるかといったら、違うでしょう。疲れた顔もするし、いらいらもする。アナタがときめかない奥さんと私はなんら変わらない。ただ、見える部分が限定的なだけ。

娘に恥じぬ人間であろう、母の威厳を保とうと、厳しめに自分を律してきたのですから、お願いだから、なんの覚悟もない茶々を入れないでいただきたい。波打ち際でちゃぷちゃぷ戯れるような、そんなおとぎ話は私はいらない。

孤独であるとか、ひとりで生きることの厳しさとか、そんなものは身に沁みているのです。だからこそ、波乱はあったかもしれないけれど努力でうまくまとまるであろう家庭を持つ人には、その道をまっとうしてほしいと願い続けています。問題はあるのかもしれない、でもさ、もっと奥さんを大事にしてくださいよ。ほんとに。

よそ様の家庭にヒビを入れるなんて、そんな不名誉な立場はがまんがならない。もともと入っていたヒビだというなら、よその女の破壊力に委ねないで自分できっちり落とし前つけてから晴れやかに美しい人生を歩みましょうよ。

ナターシャの"It's OK"は美しい自己犠牲ではなく、満ち足りた者の覚悟だったのだと思っています。私もいまの自分に満ち足りていて、Proudly Single、気高く独り身を愛するのです。


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