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理解した、ではない:エジさんが来る

英語をずっと勉強していますが、波打ち際で崩れる砂を積み上げているような徒労感に苛まれます。と書いてから「徒労感に苛まれる」って英語で何て言うんだろう、と考えたりしますが、これは日本語としての文学的な修飾なので、I'm tired. で済んじゃうんですよね。

で、たくさんの文法や用法をおぼえてもどんどん忘れていきます。「なるほど、こういうときはこう言えばいいんだな」と思ってノートにメモしようとすると、同じことが数ヶ月前に書かれていたりするのです。トホホ。

最近感じたのは、「理解した、ではなく、知っている」という重要さです。先ほどの I'm tired. もそうですが、『主語が、私、一人称のBe動詞、疲れたという形容詞』なんて並べて考えながら言ってはいません。日本語で無意識に言うように、もう疲れた〜とワンセットで記憶しているだけなのです。

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エジさんという人が、役に立たない英語を教えてくれます。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。