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銀の指輪「7」:博士の普通の愛情


朝起きると、食事の用意ができており、妻の姿はなかった。クローゼットの前に置かれたゴミ箱から、折りたたまれてねじ込まれた大きな紙袋が見える。高級そうな光沢のある白い紙にはエンボス加工でフランス語のブランド名が印刷されている。

僕はこういうのにまるで疎い。クローゼットを開けると、ふわっと妻の香りがした。見たことがない赤いワンピースがかかっている。彼女の服を全部知っているわけではないが、ここにある服はとても少なく、パーティに着ていくような服はほとんどない。

この前、友人と食事をしたとき、家族に貧乏をさせることについて話した。僕は平均的な家庭に育ち、母親も割と贅沢な趣味の人だったので、自分の奥さんに買い物を我慢させたりするのは好ましくないと言った。友人はその考えを「前時代的だ」と言う。実際、彼と暮らしているパートナーの女性は自分の仕事を持ち、彼と同じくらいの年収があるから好き勝手に買い物をしているそうだ。

僕はリリーのことを思い出した。リリーはアクセサリーを作ることしか考えていない素朴な男と結婚し、不満はなかったんだろうが、いつしかその境遇に飽きて、作家や僕の前で裸になっている。

作家はリリーを指さして「ここにあるひとつの体」と言った。精神ではなく、体。体に刻まれたものは心と違って、目で見ることができる。それは老化とも成長とも言えないのだろう。蝶の幼虫がさなぎになり、成虫になって空に羽ばたく。芋虫とさなぎと空を飛ぶ蝶は、同じ生命なんだろうか。どの姿が「蝶」だと決められるのか。

リリーの美しい体は、さなぎなのか蝶なのか。どこかで出会う一瞬の姿が本当のその人であり、明日は変わっているかもしれない。その答えはない。

仕事がなかった僕は、一日中ボーッと部屋で過ごしていた。ネットでアダルトビデオを検索して見た。弱々しい男が屈強な男に奥さんを犯されている、というあまりにも典型的なものだった。なぜこうしたストーリーがあるのかと言えば、多くの男性の深層心理に訴えているからだろう。だからこそ、このテーマは量産されているのだ。

白人が黒人を差別するのは、肉体的、性的な能力への嫉妬ではないかと言った心理学者がいた。あながち間違いではないと思う。男性の性はつねに社会性に囚われている。他人との比較や、没入感の無さ、性欲と愛情の乖離など、野生の本能を残す女性の性とはまったく別のものだ。

妻のあの赤いワンピースは何なんだろうか。僕と別れて新宿のデパートに行くと言っていた。そこで買ったんだろうが、もしかして彼女にもリリーと同じような存在がいるのではないか、そう感じてしまった。

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スマホにメッセージが届く。懐かしい名前が表示された。ギタリストの奥さんだった。

「片桐くん、最近どうしてますか。私はまだひとりであの家にいます カナコ」

それだけ書かれていた。僕の貧弱な脳は多くの問題を処理しきれなくなっていた。

「これから行ってもいいですか」

ほとんど無意識に、そうメッセージに返信していた。

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。