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麻婆丼の響子さん:博士の普通の愛情

僕はコンビニでドリアを買った。隣のレジに並んでいたのはどこかで見たことがある女性だった。

夜の2時。てきぱきと仕事をこなすシャリマというネパール人の店員は、ふたつの弁当をレンジで温めていた。コンビニの客は僕らふたりだけ、とても静かだ。レンジがチンと大きな音を立て、僕らの弁当が手際よく渡される。店を出ると、その女性は僕と同じ方に歩いてくる。

そうか。うちのオフィスビルで働いている人だ。何度かエレベーターで一緒になったことがある。彼女のフロアは確か編集プロダクションで、僕の事務所と同じくらい毎日遅くまで仕事をしていた。僕は翻訳をしている。ひとりでやっていて、仕事が多いときは知人に頼んでいる。翻訳は自宅でできるから助っ人の彼が事務所に来ることは滅多にない。いつもひとりだ。

ビルの入口まで来たとき、彼女も僕が同じ建物で働いていることに気づいたようだった。夜11時を過ぎるとセキュリティロックがかかるので自動ドアの横にカードをかざして開けなければならない。僕はポケットをさぐったが、みつからない。その様子を見て彼女が僕の前に出る。彼女もパスケースの中を探している。ないようだ。

僕らふたりは2月の寒空の深夜に、コンビニ袋をさげたままビルから閉め出されてしまった。僕はむき出しでポケットに2000円だけ押し込み、財布は要らないと思ってコンビニに出かけた。彼女もどうやらパスケースに入ったお金だけに頼ってビルを出たようだ。入口横の警備室は休日なので誰もいないし、ふたりともスマホも持っていない。どうしよう。

「ドリア、冷めちゃいますね」と彼女は言った。

僕らは何度か顔を合わせているが、一度も話したことはない。これが初めての会話だった。ドアのロックは朝の5時に自動で解除されるが、今から朝までここで時間をつぶすことは不可能に思われた。終電はとっくになくなり、家に帰ることもできない。こんなご時世だから店もやっていない。僕らはエントランスの奥の、風が入ってこないくぼみに立っていた。

「寒いですね。どうしたらいいですかね。白くまのアイスまで買ってしまいました」

「はい。困りましたね。私の麻婆丼も冷めちゃいました」

レジで見えてはいたが、女性がコンビニの麻婆丼を買ったことを言えるのってけっこう素直で好感が持てるなと僕は思った。そんな場合じゃない。ドリアは冷えるし、白くまは溶ける。

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「あの、変なことを聞いていいですか」

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。