アンチョビのパスタ:博士の普通の愛情
23歳のとき、僕は地元の船橋から通勤していた。
編集プロダクションの雑用をやっていたので、いつも終電ギリギリ、間に合わない場合はオフィスのカウチで寝る日々だった。取材の仕事でたまたま出会った25歳の女性がいた。彼女は新人のライターで、二度仕事場で出会った。
編集の現場は毎日会う人が違う。今のようなソーシャルメディアがなかったから、電話番号を聞くなんてことは重々しく感じられ、カジュアルにはできなかった。
二度会う、というのは出会いの中でも特別なんだろうと思う。まったく別の仕事で会ったときに、運命とは言わないまでも普段とは違う感覚を持った。もしかしたらそれは恋愛という意味ではなく、僕も現場で顔見知りのスタッフに会うようになった「一人前」っぽさに酔っていたのかもしれない。
撮影が終わり、そこで使ったプロップ(小道具)を彼女の部屋に運ぶ、という任務が僕に与えられた。女優の背景に置かれていた屏風というのか、名前がわからないモノ。カメラマンはそれを撮影後に捨てておいてと言ったが、彼女がそれを欲しいと言った。
彼女と屏風と僕は、タクシーで広尾に向かった。有栖川公園のすぐそば、1階にカフェがあるこぎれいなマンション。6階の窓からは、夕焼けの空と公園の木々が見えた。
「ねえ、ご飯食べていくでしょ」
と彼女が聞く。それは質問ではなく、確認だった。僕はふたつ年上で広尾のマンションに住んでいる彼女を、ずいぶん大人に感じていた。
ふたりで部屋を出て、輸入食品を扱うスーパーに買い出しに行った。入るときには見なかったが、玄関のドアには「603 NORICA」という表札が貼られていた。KじゃなくてCなんだなあ。その方がお洒落なのかなと、当時の僕は思ったことをよく憶えている。
スーパーの店内には外国の缶詰とか見たこともないパスタとかが並んでいた。近所に住む欧米人らしき家族もいた。ノリカは棚から色んなモノを選び、カートにぽんぽんと投げ込んでいく。僕が母親に付き合わされていた船橋のスーパーとは別世界だった。レジでノリカはクレジットカードを出す。これもまだカードを持っていなかった僕に劣等感を感じさせる仕草だった。
ノリカは誰だかよくわからないアメリカのバンドのCDをかけると料理を始めた。作っているのはアンチョビのパスタのようだった。
本棚を眺める。「世界の鰻食文化」「全集 日本動物誌 うなぎの旅」などという本が並んでいる。できあがった美味しいパスタを食べているときに聞いてみた。
「うなぎの本が何冊かあるね」
「うん。学生時代にうなぎのことを調べていたから。好きでもなかったんだけど、家がそういう系の仕事をしてる」
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。