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お前は、勝海舟以下。

知人が彼のアシスタントと話していた言葉が面白かったので書き留めていて、さっきそのメモをふいに見つけた。

「お前は、勝海舟以下だな」

食事の場でそのアシスタントくんが言ったのは、まあありがちなんだけど「日本のこともよく知らないのに、外国になんて興味を持たないですよ」というものだった。なぜかよく聞くこの言葉。遠くのものに興味を持つより前に、自分の足元から、というやつだ。

一見、正しいことを言っているように見えて、実は何もしないことの言い訳にも聞こえる。彼はそこに反応してイラッときたんだろうと思う。何かをするときは理由を言わなくても結果でわかるものだ。俺の友人である松丸くんという研究者は南米に行き、ペルーやコロンビアの政治や文化を勉強している。わざわざ聞かなくても、彼が南米の生活や文化に興味を持ったんだろうなというのは推測できる。

しかし「やらないことの理由」は本人が一番わかっているから、詭弁が和歌山になり、超高校級の言い訳が捏造される。もちろん外国に行って自国の文化を知らないと恥をかく。「日本の選挙制度はどうですか」「茶道とはどんな精神から生まれたものですか」と聞かれたときに、選挙に行ったことがない、茶室に入ったことがない、と言ったら相手はガッカリするだろう。

だから自分の国の文化は最低限知っている必要があるんだけど、日本文化に詳しい人が他の国の文化に興味を持っていないことは考えにくい。つまり、文化全般に興味があるかどうか、の問題だからだ。

俺の高校の英語教師が、英語圏どころか一度も外国に行ったことがないと知ったときのあの幻滅をいまだに忘れない。彼が俺たちに教えていたのは何だったんだろうかと根に持っている。

自国の文化と異文化は両輪で自分を前に進めると思っている。

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ポルトガルのリスボンに行った時、俺が泊まったのは菓子店の上階にある部屋だった。オーナーのパウロは菓子職人だが、カステラがポルトガルから日本に伝わって日本のお菓子として発展したことに興味を持ち、日本風のカステラを勉強しに行ったらしい。これはなかなか珍しい考えだ。日本人柔道家がブラジルに行って向こうの柔術を学ぶようなことだろう。

リスボンに戻ってからのパウロのカステラは、ポルトガルで本場のカステラを作り続けていた人のものとは何かが違っていたはずだ。それが「両輪」ということで、異文化を知るには自国の文化を知ってからではなく、自分の存在を違う場所で客観的に眺めることで同時に両方が理解できる。それをせずに浅はかなことを言ったアシスタントに、知人は怒ったわけだ。

パウロは再び日本に来て、現在は日本人の奥さんと北野天満宮入り口で菓子店をやっている。パステル・デ・ナタ(エッグタルト)がとても美味しいので是非食べてみて欲しい。ナタもポルトガルから香港や上海、マカオなどに伝わり、それぞれの国で洗練されているお菓子のひとつだ。

香港や上海や台北で食べたナタも美味しかったが、リスボンで食べたとき、これが本場の味かと思った。それはアジアで食べたものを否定することではない。長い時間をかけて変化した4つのナタを知った、という事実だけだ。

高校の英語教師がもしロンドンとボストンとシドニーの英語の違いを体験として教えてくれたら、俺たちはもっと英語に興味を持ったかもしれない。でもそうできなかったのは、紙の上でしか英語を学んでこなかったから。彼はただ「知らなかった」のだ。

勝海舟の名は麟太郎、義邦、と変化している。邦の義と言えばドメスティックそのものだが、「海」と「舟」の文字をつけたことは、知らない国を見てみたいと思ったことと無関係ではないだろう。

俺の友人には外国に住んだり勉強に行ったりした経験がある人が多い。たくさんの国のことを知っている彼らから「外国に行く前に自国を知る」という理屈を聞いたことがない。ルーブル美術館を観に行くにはまず日本の美術館を勉強してからでないと、というのがいかにおかしなことかはわかるだろう。行けばわかるし、むしろその後で日本の美術館を見たときに違いはわかる。

当たり前のことだけど、ルーブルに行ったことがない人が「ヨーロッパの美術館とはこうである」と言うのは完全にナシだ。プラドに行ったことがないなら「スペインの美術を語るにゃ」と言われてしまうだろうね。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。