サプライズのない再会。
物事には順序というのがあって、割とそれは大事なんだよな、という話。
俺は映画をけっこう観るんだけど、それほど必然性がない展開であっても女優は裸になることに気づく。女優はよく、「必然性があるので脱ぎました」などという。「体当たりの演技」なんて馬鹿の一つ覚えのようにマスコミも言う。体当たりって、脱いだり、土砂降りの雨の中で叫んだりすることなのかなと思うけど。
アメリカには「ストーリー・アナリスト」という人がいる。脚本を分析して、ヒットする映画になるかどうかを判別する仕事だ。とにかくアメリカの映画産業は規模が大きいから、工場のように分業化が進んでいて、日本にはない職種も多い。毎日送られてくる膨大な脚本をランク付けして、極端な話、いくらの制作費でどれくらいの興行収入が見込めるかまで算出する。
彼らにとって映画は芸術じゃない。工業製品だ。だから、映画が始まって何分以内に敵が出てきて、その何分後にヒロインが出てきて、ベッドシーンが出てくる、と定石の進行が科学的に細かく決まっている。ハリウッドの映画が観やすいのは統計によって作られていて、観客に違和感を与えないからだ。
いや、順番の話をしていたんだった。
過去に、女優と実際に会って、微妙な感情を持った人が何人かいる。映画の中で「体当たり」していた人と個人的に会う機会があったとき、「あ、この人の体当たりを観たことあるわ」と思い出してしまうのだ。
もしも俺が女優と付き合うことになったとして、最初の夜を迎えたとき、スクリーンに映っていたのと同じモノを見ると、「サプライズのない再会」になってしまうのだ。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。