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裏方は裏に:Azinine(無料記事)
何かを作るときには多くの立場があります。演劇なら演出家、役者、衣装、舞台美術の人がいたりするわけですが、わかりやすい分け方は「舞台の上にいるかどうか」いわゆる、表方と裏方です。最近は皆ができごとの裏側を知りたい欲求が増えてきて、表だけでは満足しないようになってきました。
それが顕著にあらわれたのは「とんねるず」だった気がします。素人であったとんねるずがテレビのバラエティの世界に入って、そこで視聴者側から見たものを内側から翻訳して見せていた。ディレクターやプロデューサーを表に引っ張り出して、今までは外に出なかった業界の裏側を提示したわけです。最終的には裏方だけで構成されたバンドまで作りました。
今では一般の人も、テレビ局で出るお弁当が金兵衛やオーベルジーヌだと知っています。まったく知る必要のない情報ですけど。「表側だけだと嘘っぽくて満足できない」という視聴者のグルメのぞき趣味に応える形でそれらは加速していき、裏方がメインで話すコンテンツも増えました。そこで、ですけど、スタンスを明確にしておくと、「裏方は表に出たいと思ってはいけない」と自分を戒めています。
理由はとても簡単で、演じる人に比べたら我々裏方は圧倒的に「ダサい」うえに、「誰からも求められていない」からです。特に演出的な立場にある人は場を仕切る監督としての立場にいるので、いつの間にか自分のダサさを忘れてしまい、演じている人と同列だと思い込んだ振る舞いを始めます。それがスタジオの中なら監督する職種だし治外法権なのでいいんですけど、その臭気が外に漏れ出てしまうとおかしなことになるわけです。
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私の現場では仕事中、誰かを呼び捨てにすることがありません。年齢も立場も関係なく、さんづけをします。自分が呼び捨てをするのが嫌いだからです。あるとき食事をしていると、その手の人、おそらく六本木にあるテレビ局のプロデューサーでしょう、40代くらいの男性が隣にいた女性に「これからあいつを呼び出すからさ」と言っているのが聞こえました。「おお、ヤマダ(仮名)。これからすぐに西麻布に来いよ。すぐだぞ」と、割と中堅どころの芸人の名前を大声で叫んでいました。こういうの、一番嫌いなんです。
もちろん表に出る裏方の人の中にも、元・日テレの土屋さんのように謙虚な人格者がいるのはわかっていて書いていますが、いまだにこういった典型的な勘違いタイプはいるものです。特に専門職の場合は全員で現場を動かすわけで、誰が偉いとか偉くないとかはありません。それぞれの職能に敬意を持っていれば、下の人に怒鳴り上の人にこびへつらうような真似はしないはずです。その点、アメリカの現場は全員が平等であることを誰かが監視しているので、ロバート・デ・ニーロと彼のスタンドインは同じ待遇をされます。その点は素晴らしいなと感じます。
YouTubeを初めとするアマチュア化はメディアの民主化とも言えますが、その反動が見えてきています。いくら面白いYouTuberがいても、本職の「演じる人」が出てきたらひとたまりもないこともわかりました。彼らにしてみればアスリートのようなものですから、オリンピックの舞台で走ろうが、近所の小学校の校庭で走ろうが、速度は同じです。
その速度を見た上で裏方が張り切っても「切ないなあ」としか感じられません。私は自分の6億倍カッコいいヒョン・ビンの隣で何かを話すのは嫌なのでやりません。「誰もお前のことなど求めていない」と、太ももにゴシック体で刺青をしたいくらいです。ですから自分は自分に与えられた仕事を、太ももを眺めながら裏側でやっていればいいと思っているのです。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。