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貧弱な恋愛:博士の普通の愛情

作家の大木亜希子さんは、最近発表された小説について、「これは私が書いた小説です。他の誰にも書けない小説を書きました。」とコメントをつけていた。このシンプルな言葉は文章を書く人への大きなヒントになると感じたが、そんな客観的な感想を言っている場合ではなく、自分も自分にしか書けないことを見つけないとマズいぞ、と反省した。

先日、ここを読んでくれている定期購読メンバーから「あの話、面白かったですよ」と言われ、何も思い出すことができなかった。10日くらい前に書いたものだというのに。

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noteに書いている4つのマガジンの中でフィクションはこれだけ。思いつきで下書きも推敲もせずに一気に書いているからすぐに書いた内容を忘れてしまう。自分の「忘却力」に恐ろしくなることがある。

この文章を書く前に、似たようなことを書いていないかと思って前の話を読み返してみた。忘れていた話を新鮮に感じたのと同時に、この作者は幼稚でろくな恋愛体験がないな、と情けなく思った。

つまらないきっかけで知り合った恋人たちが何かの理由で離ればなれになって、時間が経ってから過去の日々を思い出す、というありきたりのエピソードが多い。そうでなければサイコ・サスペンスのような結末。救いようがない。

その理由はうっすらとわかっている。自分の実体験を投影するような手がかりを人に見せたくないのだ。大木さんが書いていた「他の誰にも書けない」と自信を持って言える文章を生み出したいのなら、もっと自分の過去の傷口までも他人に見せなければならない。格好をつけている場合ではないのだ。

ちょっと気持ちを切り替えて行こう。

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。