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交換殺人:博士の普通の愛情

ホテルには6人の男女が呼ばれていたという。

あるメッセージが届き、僕はその誘いに乗ってここにやってきたのだ。メールのタイトルには「交換殺人」と書かれていて物騒だなと思ったが、それはただの比喩だ。

僕が勤めている会社の上司に最低の男がいる。「A」という部長はパワハラなんていう言葉では済まないほど我が物顔で社内を支配していた。ほんの少しでも彼に口答えをしたり、事を荒立てた社員は悲惨な扱いを受けるのを知っていたからか、上層部からは有能な男として評価されていた。

僕はネットへの書き込みで彼を失脚させてやりたいと思っていたが、万一それが僕の仕業だと知られたら会社での居場所がなくなる。一番効果がありそうなその方法は危険すぎたのだ。ネットには匿名で書き込んでいるつもりでも開示請求さえ認められれば簡単に身元が特定されてしまう。リスクは避けたかった。

そこに来たのがこのメール。

「あなたは交換殺人という言葉を知っていますか。推理小説ではおなじみですが、自分が殺したい相手を見知らぬ誰かと入れ替える方法です。捜査は被害者との関係や動機を元にされますから、まったく無関係で動機がない人が殺せば明るみに出る確率はぐっと低くなるのです」

それは知っている。でも僕はAを殺そうとまでは思っていない。

「交換殺人というのは比喩で、ランダムに集められた6人のスマホを入れ替えるのです」

なるほど。これは使えるかもしれない。もし僕が誰かのスマホを使ってA部長の悪事をリークしたとしても、持ち主はAとまるで関係がないから捜査の糸はそこで途切れてしまい、僕の存在まで辿り着くことは決してないのだ。

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僕たちはある日曜日の午後、指定された新宿のホテルの一室にそれぞれチェックインした。同じフロアに僕のほか5人が集められているようだ。ノックの音がして、中年のスタッフが誰のものかわからないスマホを渡しに来た。黒い革ケースのiPhoneには煙草の臭いが染みついていて少し嫌だったが、それを持ってソファに座る。与えられた時間は4時間。その間に自分では言えないことを他人のスマホから自由にネットに書き込むのだ。

僕たちは全員、今日の朝にスマホを紛失したことになっている。家族でも友だちでも誰でもいいから、「スマホが見当たらない」ということを知らせておく。これは第三者が使ったという言い訳ができるように、とのことだった。つまり僕のスマホが一時的に紛失していたと言えば、僕のスマホを利用した誰かはもちろんのこと、僕にも何も責任は発生しないということだ。

さっそく「就職クチコミ110番」というサイトにAの悪行を実名で余すところなく書き込む。うちの会社は就職希望者が多い人気企業なので、書いてからすぐコメントがついた。

「いい会社だと思っていましたが、内情はそんな感じなんですね。でもその部長の横暴は警察沙汰になってもおかしくないレベルですよ」

最高だ。気持ちがいい。このコメントがうまく外部に広まって会社の上層部やマスコミに知られれば多くの社員のためになるはずだ。他にもいくつかの闇サイトに書き込みを続けているうちに感覚が麻痺してきたのか、最後は常務に直接メールを送ってみた。

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。