見出し画像

筆箱の中の鉛筆:博士の普通の愛情

「もう年賀状という風習も廃れつつある」と感じた。元旦にいそいそと郵便受けを見に行き、まだ届いていないとがっかりした、あの子ども時代の高揚感はまるでない。

会社勤めをしていた頃は自分から500枚くらいは出していたし、それと同じくらいの年賀状はポストに届いていたが、最近は知人からのほんの数枚になった。あれはすべて仕事の書類と同じような存在であって、悲しいことに「手紙」のたぐいではなかったのだと思い知らされた。

その中で僕の心が揺れる年賀状が、毎年、一葉だけある。今から20年ほど前、結婚する前につきあっていた女性からのものだ。

彼女とは25歳から3年くらい一緒に住んでいた。別れてしばらくはお互いになんの連絡も取っていなかったが、数年前にたまたま僕が新聞記事に取り上げられることがあって、向こうから葉書が来た。新聞社から転送されたその葉書には彼女の近況が書かれていた。

11月だったのでその住所に年賀状を送り、毎年の習慣になった。

「ねえねえ、この人、同級生だっけ」

葉書をひらひらさせながら、妻が聞いてきた。

「うん。僕はもう年賀状なんてやめたいんだけど、毎年送ってくれるからね。昔の友人なんだ」

「へえ。律儀なのね」

妻は僕が知る限り誰にも年賀状を出していないし受け取ることもないから、我が家にやってくる年賀状は14歳の息子宛てのものがほとんどだ。テーブルに置かれた数十枚を息子は面倒臭そうに眺めている。

「お前、起きてきたらまず挨拶だろう」

「ああ、明けましておめでとう」

こちらも見ないでそう言う。家族があらたまって新年の挨拶をするような儀式もこれからは廃れていくんだろうなと感じた。

息子は彼女からの写真つきの年賀状をじっと見ている。何だろう。

僕と彼女は、甲州街道沿いのアパートに住んでいた。交番の角を曲がった突き当たりにまだ当時の建物は残っている。僕がひとりで住んでいた部屋に彼女が遊びに来るようになり、泊まるようになり、だんだん帰る日が減ってきて、いつの間にか一緒に住んでいた。始まりなんてそんなものだ。

僕らはとても楽しい日々を過ごした。地方から出てきた彼女は甲州街道のクルマの多さが好きではなく、圧迫感のある巨大な日陰を作る首都高も嫌いだった。

「頭の上をクルマが通ってるなんて、気持ち悪いよ。なんだか蓋のついた筆箱の中にいる鉛筆みたいな気分になる」

僕にはあまりその感覚がわからなかった。普段歩いていたら高速道路が頭上にあることなんか、いつの間にか忘れているものじゃないだろうか。彼女はふたりで広い部屋に引っ越そうと言っていたが、僕はいつもその話をごまかした。その部屋の居心地が悪くなかったし、ふたりで未来の何かを決めることが怖かったのだ。

「じゃあ、僕はエッチの鉛筆だな」

「バカじゃないの」

彼女は去年から写真つきの年賀状を送ってくるようになり、そこにはあの頃とそれほど変わらない彼女と、10歳くらいの娘のスナップ写真が印刷されていた。俺とは違って、彼女はあまり歳を取っていないと思った。旦那は写っていないが、なんとなく3人で写っているものは避けているんだろうか。

家庭の事情も何もわからない。娘の名前も書いていない。家庭用のプリンターで写真を印刷しただけの簡単なもので、明けましておめでとうございます、という手書きの文字と、住所と彼女の名前しかない。名前は旧姓のままだ。他の人に送るものとは分けているのかもしれなかった。

画像1

「ねえ、ママ、去年の年賀状はあったっけ」

息子が言う。

「その戸棚にあるよ」

輪ゴムでとめられた年賀状を息子が見ていた。その中の一葉を手にして、今年のものと見比べている。

「何を見ているんだ」

僕が聞くと、息子はこう言った。

「パパ、この人の年賀状なんだけど、ちょっとおかしいね」

ここから先は

530字
恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。