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手すりのない写真。

ここ数日、好きな人からの撮影依頼が立て続けに入っている。

ポートレートのいいところは、その人以外の何も表現しなくていいところだと思っている。それさえしておけば納得できる「広告的トンチ作業」(たとえばクライアントのイメージカラーの服や背景で撮るとか)をしなくて済むから、俺はシンプルな写真を撮るようになった。

説明という拠り所があると手軽な安心があるんだけど、どこにも手すりのない階段だと、より慎重に歩くものだ。サグラダファミリアの尖塔のらせん階段を降りたことがある人ならわかってもらえると思う。その緊張感が大切だと思っている。

写真やディレクションにギミックを入れると一瞬は面白いけれど、二度は見てもらえない。初速で用が足りるから広告ではそれが正解だということもちゃんとわかってはいるけどね。

この前Parisのショップで、俺が撮影していたカタログ本を毎日眺めているというフランス人のおばさまに偶然会った。「この人が写真を撮っている人ですよ」と店のスタッフが俺を紹介してくれた。

そういうのがうれしい。写真集でもないブランドのカタログを、いつも眺めていてくれる人がいると思っただけで、写真を撮っている意味がある。

何度も見てもらえる写真が撮りたい。何十年経っても何も変わらずに流れているフォークソングみたいに流行に関係なく。おはようございます。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。