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青いワンピース:博士の普通の愛情
当時、僕は渋谷にある服飾専門学校に通っていた。服に興味を持ったのは好きだったミュージシャンがデザイナーと対談している記事を雑誌で読んだからだ。「俺は彼の音楽に共鳴したから、ステージ衣装を作らせろってメッセージを送りつけたんだ」そんなことが書かれていた記憶がある。単純な高校生の僕はすごくかっこいいと思った。自分もそんなことをしてみたいと夢見た。
実際に入学してみるとバイトと課題に明け暮れ、かっこいいことなんて何もなかった。周りの友だちはお洒落をして「いつかパリコレに行くんだ」なんて夢のような話ばかりしている。僕はといえばひとり暮らしの生活を維持していくだけで精一杯で、今までより店に服を見に行く回数は減った。こんなことで服を作る仕事なんてできるんだろうかと不安しかなかった。
なんとか服の形が縫えるようになった頃、学校でコンテスト形式の課題が出た。シンプルなワンピースを作ることにしたが、それを着てもらうことをイメージしているモデルがいた。学校帰りによく行く喫茶店で働いている女の子だ。たぶん僕よりひとつかふたつくらい年上だと思う。話したことはないが、よく来る客として認識はされていると思う。
その日の客は僕ひとりで、店のオーナーもいなかった。ちいさな音でかかっている店のBGMは毎日同じ。ボブ・ディランやカーペンターズなど、70年代の曲のメドレーの繰り返しだ。オーナーの趣味なのだろう。いつものようにスケッチを描いていると彼女に声をかけられた。
「いつも描いてるそれって、服のデザインですか」
「はい。夏休み明けまでに提出する課題なんです」
「いいなあ。やりたいことがあるって」
思い切って彼女にお願いをしてみた。いつか言おうと何度もシミュレーションをしていたのですらすらと言えた。
「服って漠然とデザインしていてもうまくいかないんです。この人に着て欲しいと思って作らないと魂が入らない気がして。もし迷惑じゃなければ、できあがったこの服を着てもらえませんか」
「本当ですか。うれしいです」
僕はちょっとしゃべりすぎたと反省するくらい一生懸命に服の話をし、それを聞いている彼女も楽しそうに見えた。閉店時間になったので帰ろうとすると、彼女はこう言う。
「今日はマスターが帰って来ないから、お店を閉めてまだ話していても大丈夫ですよ」
僕はできる限りのさりげなさを装って、彼女を採寸させて欲しいと言った。
いいですよ、と言いながら、彼女は着ていたデニムのエプロンをはずして僕の前に立った。学校で女子の採寸をしたり、僕がされたりしたことは何度かある。互いに何とも思っていない相手だから仮縫い用のボディを測るのと同じ味気なさだ。でも今は違う。ずっと気になっていた人が閉店後の喫茶店の真ん中で、磔になったキリストのようなポーズで立っているのだ。
BGMは終わっており、シャッターを閉めて薄暗くなった店の中は無音だった。広げた両手の間に体をねじ込み、腰に腕を回す。薄手のTシャツを通して彼女の肉を感じ、うっすらと汗の感触が伝わってきた。僕の指先も汗に濡れ、安っぽいビニール製のメジャーはぬるぬるしていた。彼女は僕の課題のために協力してくれているのにそんなことを考えている自分を恥ずかしく思う。
それからは店に行くたびに服作りの進捗状況を伝えるという話題ができた。薄いサックスブルーの生地をいくつか持って行ってどれがいいか相談したり、それに合わせる靴を選ぶために彼女に家からもってきてもらったりした。
オーナーがいない日を見計らって完成した服を持って行く。閉店後にシャッターを閉め、ショーが始まる。レジの横にある大きなアンティークの鏡に映った彼女はオードリー・ヘップバーンみたいに綺麗だった。
「あ、そうだ。これ買ってきたんだけど」
紙袋から取りだしたのは新しいパンプスだった。彼女に渡していた生地の切れ端を靴屋さんに持って行って選んだのだという。
「完璧だよ。ありがとう」
僕は思わず彼女とハグをした。
実物に添えて提出するためのスタイリング写真を撮った。立っているのと、店のカウンターに座っている二枚。暗い茶色の椅子や壁とのコントラストでワンピースがくっきりと浮き上がるので、上出来だった。
「記念写真も撮ろう」
彼女がそう言うのでテーブルの上にカメラを置いてセルフタイマーをセットし、ふたりで肩を組んで写真を撮った。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。