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横から見える会話:Anizine

ソーシャルメディアには、人の会話のすべてが詰まっている。「会話にも技術がある」という当然のことが語られることはあまり多くない。セクハラやパワハラ、差別などの問題はそこに収斂されるような気がすることがあるくらい、重要なことなのに。

「今、その場でその言葉をチョイスして発するべきか否か」

口から言葉が出る前にそれを考える人はまず間違えることがない。ただ反射的に思ったことを言ってしまう人だけが舌禍という落とし穴にはまる。しかし落とし穴から這い上がるとまた懲りずに同じことをする。問題発言を指摘された政治家などは「誤解を受けたならお詫びします」と渋々謝るが、ひねくれた誤解をする受け手がヘンクツなのであり、自分は間違っていないと言わんばかりだ。だから同様の失態を繰り返す。

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ソーシャルメディアを観察していると、性格が悪いとかではなく、彼らが会話の技術を問われない場所で過ごしているからだと感じることがある。テレビの生放送で話す人は「先ほど不適切な発言がありました」などと謝罪するが、一般人はどんな基準で言葉を発しているかを精査されない場所にいる。それは吉野家の会議室の中であったり、居酒屋だったり、親戚の法事の席だったりする。そこでは許されてきたのだが、ひとたび発言が公共の場に引っ張り出されると、厳しい目で審査されることになる。

「あなたは今、間違ったことを言いましたよ」と言われるのは誰でも嫌なことだ。特に高齢者になるほどそういった間違いを他人から指摘されるのが嫌いだ。「今まで俺はこのスタイルでやってきた、田舎から来た若い娘をシャブ漬けにするという比喩のどこが悪い」と思っていることだろう。おそらくそういった人は今後もああいった発言を、「面倒な人々に指摘された不運」と思うだけで根本的な考えが変わることはないだろう。

俺が過去にソーシャルメディアで見た最悪のコメントがある。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。