『夕食の朝食』中編:博士の普通の愛情
前編
「一緒に暮らすようになって一年くらいした頃、ちょっと関係がギクシャクし始めたよね。俺が悪かったと気づいていることを書くよ。まず、那覇のこと」
ある夜、私が部屋に帰るとユウちゃんはバッグに着替えを詰めていた。
「どこかに行くの」
「うん」
「そう言われたら、普通は行き先を言わないかな」
「ああ、那覇」
「沖縄に行くんだ。一度でわかるように話して。効率が悪いから」
ユウちゃんの手が止まり、表情が変わったような気がした。
「俺たちの会話で大事なのは効率か」
「そうじゃないけど、普通は言うから、何か言いたくないことでもあるのかなと思っただけ」
「俺はそういう風に思われることの方が面倒くさいよ」
「ああ、そう。普通がズレてるね、お互いに」
「うん。普通が違う」
私たちはいつからこんなにとげとげしい言葉をぶつけ合うようになってしまったんだろう。休日にはよく近所を散歩した。何も目的がなくて、そのときに目に入ったもののすべてをふたりで一緒に眺めた。空が青いねと言ったり、犬がいるねと言ったり、焼き鳥の匂いがすると話したりした。それだけで楽しかった。
お茶を飲みながら、リエにそんな愚痴をこぼした。彼女がいなければ私たちは出会っていない。もしかしたら彼女はふたりをくっつけるためにあの夜に帰って来なかったかもしれないとユウちゃんと話したことがある。偶然でも必然でもいい。どちらにしてもふたりの関係の生みの親はまぎれもなく彼女なのだ。
「男女って、慣れてくるとそうなるんだよ。惰性って言うと言葉は悪いけど、愛情が変化したもの、居心地がよくなったものなんじゃないかって私は思うけど」
「そうなのかなあ」
「ずっと新鮮な恋なんて続かないんだから。相手が横にいることを何とも思わなくなって、でも気づくとそこにいることをうれしく思ったり、ときどきわずらわしく思ったりするのが普通なんだよ」
「普通か。普通って、世界共通みたいな顔をしているけど、違いすぎてわかんないよ」
「確かに、普通って個性ありすぎだよね」
沖縄から帰ってきたユウちゃんは、行く前と違う顔をしていた。ただの勘だけど何かがあったことはわかる。
「海、綺麗だったか教えて」
「普通。あまり海のそばには行ってないし」
「何それ。つまんない」
「うん」
「沖縄に行って海を見ない変わり者なんているんだ」
「いるよ。たくさんいる」
自分でも言ってはいけないことばかり口から出ていることには気づいていた。でも止められなかった。気づくと横にいる人、とリエが言っていたが、この数日間、となりにユウちゃんはいなかった。ひとりで部屋にいるのがつらかった。
何人かと代官山のレストランで一緒に食事をしていたとき、誰かが言った。
「リエちゃんから沖縄のお土産をもらったの。ほら可愛いでしょ」
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。