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白い牛のバラッド:Anizine(無料記事)

よく、身内を殺された遺族が「犯人を殺してやりたい」と発言することがある。もちろんそうすることはほとんどないし、「極刑を望みます」という法律に則った言い方をするのが限度である。

人間の行動はわかりきった理性を超えて感情によって破綻することがある。だからこそコマンド通りに動く機械と人間は違うのだと思う。喧嘩をしている当事者を遠巻きに眺めてどちらが間違っていてどちらが正しい、などと言っても彼ら自身はそんなことはわかっているのだ。わかっていてやっている。

そういうことを考えながらネットに書いたら、尊敬する先輩である水田さんから『白い牛のバラッド』は観ましたか、とコメントをもらった。これは何か水田さんから「たしなめられている」と感じ、すぐに吉祥寺のアップリンクに向かった。戒律の厳しいイランでは社会問題を扱うと逮捕・投獄が当たり前の国で、国と神が支配する司法の誤りを糾弾する内容の映画を作ることはかなりリスクのあることだと思う。物語の中で、見知らぬ男を家に入れたという理由だけで住んでいたアパートを追い出されるシーンがあった。この映画も本国では数回しか上映されていないという。

日本でも欧米でもあり得ない日常の描写に緊張感が漂う。冤罪で処刑された夫の保証金を巡って義父と裁判になったり、濃い味の愛憎が渦巻く。もちろん完全に男性優位の社会というか、女性の存在は消されている。主人公の娘は耳が聞こえず話せないが、これはイスラムにおける「意見を言えない女性の地位」をあらわしているだろうから、これだけでも上映が禁止になった理由になるはずだ。

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イスラムほどのマチズモではないが、先日のウィル・スミスの事件から何か言いようのない悲しさというか、つらさを感じている。自分には直接関係はないのに重くのしかかってくるような気持ち。どういう表現をしたらいいかはわからないが、一番近いのは沖縄の「ちむぐりさ」という言葉かもしれない。

映画を観終えたとき、水田さんがなぜ「これを観ておいた方がいいよ」と言ってくれたのかが少しわかった気がした。昨日は『オートクチュール』『独裁者』を観て、その全部の映画に、格差や人種の問題などに直面したときの人の心の弱さが描かれていたなあと感じた。

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