弱い人と強い人。
社会的弱者という、すでに強い人の側から言っている言葉が好きじゃない。強いか弱いかは本人が一番よくわかっているから、他人を指さして「あなたは弱い」という必要はまったくないし、あなたより遙かに強い立場の人から「お前だって弱いくせに偉そうに」と言われる覚悟はしておいた方がいい。
つまりそれは絶対的な数値ではなく、相対的な感覚だ。感情といってもいい。心の安定を求めるために「自分より弱い立場の人を下に見ること」は人間にとってある程度必要なのかもしれない。ネットではそういう人をよく見かける。「あなたはこんなことも知らないのか、だからダメなんだ」という理屈の。
でもその人々があまり幸福そうに見えないのは、つねに下に見るべき人を探して自分のステージの高さを確認する作業が忙しいからだろう。
『ロバート・ツルッパゲとの対話』では、自分が自分として振る舞う以外の問題は取るに足らない、ということのみを書いた。他人が決めたルールや価値観を盲目的に信じて動き、それによって傷つくことのつまらなさを書いたつもりなのだが、受け取り方は様々だ。
俺を知っている人は下地ができているので誤解はない。毎日くだらないことを言うオッサンなのだとわかっている。問題は、不幸にも書店やアマゾンなどで交通事故のように出会ってしまった人だ。しかしその心配をよそに、あっという間に俺やロバートというキャラクターを理解して、的確な感想を送ってくれた人がたくさんいた。ありがたい。
そこについては、読む人の能力を完全に信頼できていなかったという反省もある。わかりやすく書きすぎてしまったという反省はあるが後悔はない。その時にアウトプットすると決断したものは過去に遡って変えられないからだ。
ただし、あの本を最後まで読むという努力をしたうえで、まるで違う結論を受け取った人もいるというのは確認できた。つまり本の中で自分が悪者として描かれている、と感じてしまった人なのだろうと思う。正直に言えばそれが1/10くらいの比率で発生することは想定していた。もっと否定的な意見だらけになることも予想していたので、よく受け取ってくれた人の数に驚いたくらいだけど。
まず、強い、弱い、という言葉を自分で真剣に考えてみる。世の中で強いとされている境遇は本当に幸福ですか、弱いと見なされている人は不幸ですか、それは既成概念で自分や他人を決めつけていないですか、という質問をしたつもりだ。その答として「あなたは強者の立場から弱者をバカにしている」と言われては返す言葉がない。
悲劇のヒロイン、みたいな俗っぽい言葉がある。「私は不幸だ。自分は不幸な境遇だから人から好かれないし、何の実現力もない。それを笑うがいい。あなたや世の中を呪ってやる」というスタイルだ。でも、よくよく聞いてみるとその人は肉体的には健康だったり、環境も普通で、不幸でもなんでもない場合がある。
自己責任を強要しているのでもないから、努力しろ、と言うつもりはない。自分が何もしないことを屁理屈で正当化し続けていると、自分の心の中にある「憲法」みたいなものが、他人を攻撃するしかない、邪悪な概念になってしまうよ、ということだ。
名前を出して申し訳ないが、岸田ひろ実さんという女性がいる。旦那さんを亡くし、自分は病気の後遺症で車いす生活だが、ムダに元気のいい娘さんとダウン症の息子さんを立派に育て、いつも明るい笑顔を見せている。もちろんこれだけの情報を読んでも並大抵の苦労ではなかっただろうと想像できるんだけど、ひろ実さんが決して悲劇のヒロインに見えないのはなぜか。
それは「誰かと比較して自分は不幸だ」と感じていないからだと想像する。ひろ実さんは手の操作だけで運転し、人前で講演をしたり、アクティブに生きている。自分の足で歩き、普通にクルマが運転できる人とやっていることは何も変わらない。
俺が最初にその家族のことを知ったのは娘さんの奈美さんの文章で、そこには、あまりにも辛いなら、お母さん、死ぬことを選んでもいいよと言ったことがあると書かれていた。これほどリアリティのある親子の言葉を聞いたことはなかったので衝撃を受けた。
数日前の母の日には「お母さん、ありがとう」と皆が書いていた。その幸福感あふれるコメントをたくさん読んだあとにも、あの時の奈美さんの言葉を思い出していた。厳しい状況を描いた文章に多くの人が共感したのは、家族全員が明るく魅力的なキャラクターで「抱えている困難」なんていうわかりやすい部分を忘れさせてしまったからだと感じた。
もし「あなたはこういう病気ですね」と医師に言われたときは、病状を理解して、よくなるために日常の習慣を見直すだろう。そこで「あの医者は強い者の論理で俺を傷つけた」と言ってみても何も始まらない。
また反対に「あなたは問題なく健康です」と診断されたのに「俺は絶対に病気のはずだ。でなければこんなに不幸なわけがない」と自己診断するのも間違っている。
『ロバート・ツルッパゲとの対話』を読んでくれる人はこれからもたくさんいると思うけど、それが病気を宣告されたのか、あなたは立派に健康だと言われたのかと感じるかは読んだ人による。それは優劣の診断ではないし、俺は治療できる医者じゃない。
もしかしたら、ひろ実さんのように「どんな環境にあろうともハッピーに生きている美しい人がいる」と知るだけでいいのだと思う。
俺たちは全員、完璧ではなく、心や体に障害を持ち、その程度の差を感じながら生きている。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。