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補助輪を外せ。

昨日は高円寺のスタジオへ田中泰延、前田将多、上田豪さんの生放送を見に行ってきた。あえて下世話な言葉で表現してしまえば「チョイ悪オヤジ」の三人だが、中身はものすごく真っ当だ。

田中さん、前田さんはコピーライター、上田さんはアートディレクター出身なんだけど、それぞれのプロフェッションの領域だけではなく「行動してきた人」としてのキャリアを感じるので、全力で尊敬している。

「悪そうに見えるけどまとも」という論法はトリッキーに感じるけど、実はそれほど珍しいことではない。生きていくうえで一番ストレスが少ない方法は変化せず同じことをし続けること。現状維持というのは考えなくていいからラクなのだ。昨日と同じ今日が来るのはとても平和なことではあるけど、それが去年と同じ今日、5年前と同じ今日、と、時間が過ぎていく原因なんだよね。

その平穏な生活を外側から「お前ら、つまらなそうに生きてんな」と言っているように感じさせるから、彼らは無頼漢のように見えるかもしれない。実際にはそう思ってはいないんだけど、行動がそう感じさせてしまうことがある。田中さんは無職なのに祇園で芸者遊びをしている写真をソーシャルメディアに堂々とアップする。「僕らは真面目に会社で働いているのに、なぜ彼は遊んでいるんだろう」「俺たちをバカにしてんのか」と思うわけだ。

そうじゃない。本来、自分がやりたいことをやっているひとが基準であるべきで「やりたいことを我慢する」をデフォルトにしてしまってはダメなのだ。ロバート・ツルッパゲとの対話を読めば、そのあたりがよくわかると思う。

前田さんは会社を辞めて、カウボーイになった。日本人の何人がカウボーイになりたいと思うだろう。意味がわからない。また、上田さんは「お前ら、困ったらいつでも俺のところにこい」と言える立場になることが理想だと言い、兄貴肌の経営者として生きている。もしかしたら若い頃、暴走族だった可能性もある。

彼らに共通するのは、日本の広告代理店のトップ2社で、とてつもない競争や狂騒を体験したのち、自分がしたい仕事を選んだことだ。

大事なのは、ここなんだよね。

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当たり前だけど、メジャーリーグを引退するためには、メジャーで活躍した経験がなくちゃいけない。彼らが今やっていることはまだまだ「隠居」とは言えないんだけれど、ある時期は全力疾走を経験した人が、ゆったりしたジョギングに切り替える。するとそれまでは見えていなかった野の花だったり、人の心だったり、そういうものが見えてくるようになる。

外から見ると好き勝手にラクそうにしていると思うかもしれないけど、そうじゃないのだ。若い頃には目隠しをして走るような無鉄砲さも必要だし、リミッターのない速度を感じることも重要だと感じる。三人は「マジメであることは悪くないんだけど、損をしたくないあまりに得をするリスクを背負わなくなっている。それは若者として勿体ない」と話していた。

こういう「好きなことをやっていて楽しそうな大人の見本」がたくさん増えるといいと思う。自分は組織で継続した仕事をするのが向いているというならそれは性格の問題だからそれでいい。よくないのは不満を言いながらストレスを溜めつつ毎日会社に通っている人だ。

行動することには必ずリスクが伴う。でもノーリスクで得られるモノは何もなく、安心して欲しいのは、無職になることもそれほど大したリスクではないってことだ。

小さい頃、初めて自転車に乗るのは怖かったでしょ。転ぶと怪我をしそうだし。でも乗ってしまえばなんてことないのがわかるし、一生乗ることができる。転んでヒザを擦りむくのがイヤだから僕は補助輪を外さない、自転車に乗らないと決めた、というのがいかにつまらないことかがわかるだろう。悪い結果を想像して諦めてしまうことは「安全な選択」に見えて、自分が暮らす世界をどんどん小さくしているだけなのだと思う。






多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。