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水が流れる場所:Anizine

住んでいる場所の近くには水が流れていて欲しい、と思う。流れる水を眺めていると時間を忘れる。水には塩分が含まれていてもいなくてもいい。海でも川でもいいのだ。

生まれたのは横浜で、それが自分の幼少期に大きな影響を与えたと思っている。日本に初めて入ってきた多くのモノはこの港を経由しているという物語を聞くのが好きだった。よくスケッチに行った山下公園の向かいにはホテルニューグランドがあり、プリンアラモードやドリア、ナポリタンなどのメニューはこのホテルで生まれたと聞いた。自分が住んでいる街は、水と船と人と文化が世界を通過して循環しているのだと物心がつかない頃に知った。ちなみに物心がついたのは最近のことである。

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銀座の会社に勤めていたとき、初めて一人暮らしを始めたのは中目黒だった。狭い6階の部屋から見下ろすと、目黒川が流れていた。春になると川の両側に桜が満開になって美しかった。当時は住んでいる人がのんびり散歩しているくらいだったけど、今は観光客で満員電車並みに混雑するようだ。

次に住んだのがお台場で、目の前は東京湾だ。外国客船や海上保安庁の船、夏になると屋形船だらけになる。世界が外に向かって開き、繋がっていると感じられるのはとても幸運なことだと感謝している。

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横浜港とニューグランドというふたつの要素がDHAやDNAに影響しているのか、自分が世界を周遊している魚のような気がしている。だからか川や海があるヨーロッパの都市に行くと落ち着く。どこかに遊びに行くと半分くらいの時間をカフェで過ごすのだが、そのときに選ぶ基準が川のそばの店。パリではセーヌ川にかかるポン・サン・ミッシェルの角にある「Le Départ Saint-Michel」に行く。Départは英語だとdepartureの意味だと思う。「出発」という言葉には旅のロマンがあるよね。

隣のプティ・ポンの角にもカフェが並んでいるし、エッフェル塔に近いポン・デ・アルマなら「Le Grand Corona」に行く。川を眺め、目の前を忙しそうに歩く大勢の人を見ているのが楽しい。人やクルマが行き交う風景も「川」だ。これは秋山晶さんのコピーの真似なんだけど、ニューヨークでriverと言えば、クルマの流れのことだと書いていた。

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反対に言うと、人や風景が止まっている姿を見ていると居心地が悪くなる。いつも同じものが同じ場所にあることで「内部感覚が持つ怨念」が凝縮されるのが怖い。ムラ社会というやつだが、性格によってはつねに同じモノに囲まれていることが安心な人もいるだろうから人それぞれだ。流れている水は比喩に使われやすく、何でもとうとうと「水に流す」人はTOTO的なジャーニー民族と言えよう。

文化は海岸沿いや川沿いに生まれるというのは世界史で勉強したはずで、誰でも知っている。順番としてはそちらが先なんだけど、いい街にはいい川が流れていると言いたくなる。ミラノのナヴィリオ運河も好きだし、リスボンのテージョ川、マンハッタンの両川、ドナウ川、サイゴン川、みんないい流れをしている。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。