見出し画像

あざける権利。

日本人の考えが一定のグローバルスタンダードからかけ離れている例だと感じた。不謹慎さが「意味のある風刺」に昇華されることは極めて少なく、反ユダヤ主義に特に欧州での法的な罰則があることすら知らないのは、幼稚なヤユと言われても仕方ない。俺なら「東京大空襲ごっこ」というフレーズは、いかなる文脈を持ってしても外国人の口から聞きたくない。

つまり、あのコントでたとえば「東京大空襲ごっこ」と言ったらマズイという日本人としてのリアルなバランス感覚が働いていたとするなら、それを遠くの外国での出来事に置き換えただけでは何の解決にもならないでしょう、ということ。

「もう何十年も前の、感覚が違う時代のコントでしょ」と言う人がいるけど、1958年から、逃亡しているナチスの戦犯(容疑者)はいまだに追いかけられている。ほとんどの人が90歳以上か亡くなっているというのに。それをうやむやにして国際感覚のあり方と大きくズレてしまったのは我々で、欧州でのその意識は『手紙は憶えている』などの映画に詳しい。ご覧になっていない方は是非。

画像1

「たとえどんなにクリエイティブであったとしても、ナチスに虐殺された犠牲者をあざける権利は誰も有していない」
エイブラハム・クーパーSWC(ユダヤ系国際人権団体)副所長

そしてそれがラーメンズという過去のコントユニットだけの責任ではないことも追記しておくことと、解任されたことのドタバタはさておき、その後に出た本人からのコメントには真剣さがあった。なぜ当時そうしてしまったのかという説明と反省がちゃんと感じられた。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。