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誤解される錬金術:Anizine

ウィンブルドンに出場した選手が空振りばかりしていたらどうだろうか。観客は「練習してから来いよ」と思うはず。という前に、ウィンブルドンのセンターコートに立つことが不可能だ。警備員に止められる。

世の中の経済活動は大きくふたつに分けられる。価値を上乗せする方法と、価値を作り出す方法。上乗せは1000円で仕入れたモノを1500円で売る商売のやり方で、差額の500円から経費を引いたものが利益になる。一方、作り出すやり方はゼロから錬金術のように1500円を生み出す。ウィンブルドンで「テニスが世界で一番巧い人」が集まって競う姿を入場料を取って見せることも、野球選手、サッカー選手、ミュージシャンもみんなそれだ。

ではなぜ人々は入場料を払ってそれを観に行くのか。誰でも一応できることを「世界で一番巧くやる超人」を見るのが楽しいからに決まっている。そこで誰でもできるようなものを見せても誰も驚かないし、そんなレベルのものを披露できる場所もない。だから「世界で一番スゴくないのにそういう雰囲気のことをしたい人」は自分で場所を作ることになる。テニスが巧いかどうかが判別できない客だけを集めた大会を開いたりする。でもそこには限界があって、一生本物のウィンブルドンに出ることはできず、そこで得られる達成感を知ることなく、莫大な報酬をもらうこともできない。

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味音痴の客で溢れかえっている店が「繁盛している」と自慢する図。まあそれは需要と供給が成り立っているから当人同士は幸福なんだろうからいい。でもそれは本物のウィンブルドンを避けて通っているバイパスなのだろう。自分の能力ではできそうにない、といつも思うのは、材料を仕入れて場所を作り、丁寧に仕事をして客を集め、1000円を1500円に付加価値を上乗せする方法。これは競争相手が多いし工夫しなければ生き残れないから難しい。

安く仕入れる情報や技術、高く売る付加価値の付け方。それらをうまくバランスさせた商売をしようと思ったら大変な能力が必要で、だからゼロから何かを生み出すことの方が優れているとは思っていない。よく、「原価のないところから何かを生み出すにしても人生経験や修行の時間を考えると仕入れにお金がかかっていないとは言えない」というピカソ的な話を聞く。しかしその経験や修行は本人が好きでやり続けていた可能性もあり、一概には言えない。絵を描くのが好きで、ずっと描いていたら巧くなった、というのもただの苦痛を伴う訓練だけとは言いにくいからだ。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。