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冷蔵庫の中の言語:Anizine

「言語とはトランプのようなものです」と、信号待ちの老人は言った。

信号が赤の間にそれだけ言っていなくなったので、あとは残された言葉を自分で解釈するしかない。言語というのは、全員に配られたカードのようなもの。手札がワンペアの人もいればフルハウスの人もいるし、ポーカーをやっている人もいればセブン・ブリッジの人もいる。つまり「最小限の要素」ってことだろうね。

ツールがあればすべての勝負に参加することはできるが、手がいいか、どんなゲームをしている場なのかは別問題。そこを誤解すると痛い目を見ることになる。手元にあるカードの枚数が多い人は語彙が豊富ということだろう。そう思って老人の言葉を思い返してみると、すでに「言語とはトランプのようなものです」と言った瞬間に話は終わっているのだ。

その人が言わなかったら誰も発しなかったはずの言葉が好きだ。それを貪欲に探す人はたくさんの本を読む。他人の手札を見せてもらう行為は、反対に言えば自分の手にあるカードの役が足りていないと理解している人なのかもしれない。そして多くを学んだのちに自分のカードの作り方を知る。

俺が苦手なのは、誰かが作り上げた「スリーカード」のような言葉を知った瞬間、人に披露する人だ。諺・名言マニアとか、流行語が大好きな人がこれに当たる。感動する詩を読んだときのように、そのスリーカードを知ったことは肥料となり、自らの「フォーカード」を生む衝動になればいいのだ。でも多くの人は知ったことをそのまま流通させてしまう。これが「消費」だ。消費に悪いところはない。ただし消費を「創造」だと主張してしまうと問題が起きる。テレビで流行っている芸人の言葉をさも自分が考えたように再現してみても、周囲はもちろん模倣だと知っているし誰も感動しない。

他人から手に入れた上質なパーツを「育てるための肥料にする」という考え方ができれば、みずからの価値を生むことができる。ここ。大事。倒置法を使うと、そこで割と大事なことを言っているのが際立つけど、それはさておき。

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美味しく炊けたご飯が目の前にあるとする。冷蔵庫の中を見るといくつかの手札がある。ご飯というカードと何を組み合わせたら「豊かな食事」になるか。パルマ産の生ハムと生卵がある。あなたならどうするだろうか。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。