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震度5弱:博士の普通の愛情

和歌山で震度5弱の地震があった、というネットニュースを見た。

私はそこに住んでいるはずの男性のことを思い出す。彼とは25歳のとき2年ほどつきあっていて、名前は仮に「日高くん」と呼ぶことにする。私はその頃、陶芸教室に通っていた。無趣味ではいけないよと友だちに言われて無理矢理思いついたのが陶芸だった。数回行くうちにこれなら続けられるかもしれないと思った理由のひとつが「日高くん」だった。

彼の父親は和歌山で陶芸の工房を経営しているそうで、長男である日高くんは東京の陶芸教室で勉強しながら、ゆくゆくはそこを継ぐのだと教えてくれた。彼は私たちのような初心者にも優しく教えてくれ、生徒から人気があった。女子高生のように目を輝かせたおばさん生徒たちの評判を聞いて観察してみた結果、彼が女性から好感を持たれる理由がよくわかった。

日高くんは優しい。とてもよくいろんなことに気がついて、人の気持ちがわかる人だという印象があった。口数は多くないがその分、少ない言葉に意味と重みがある。話される可能性がある膨大な言葉の中からその場で言うべき一番大事な言葉だけを拾い上げて話す、というか。

休日の夕方の教室を終えた日高くんと一緒に帰ることになって、ふたりでファミレスに行った。なんでもない話を2時間くらいしてみて、私は日高くんのことが好きだとわかった。都内の美大を出てから沖縄の陶芸を学んできた彼だが、先生とは呼ばないで欲しい、と新しい生徒が入るたびにそう言っている。教室の主宰者のことはみんなが先生と呼ぶが、彼は「まだまだ皆さんを教えるような立場ではありませんので」とかたくなに言った。

ファミレスに行った日のあとから、私たちはぎこちなく電話をしたり食事に誘いあったりし始めた。まるで中学生のようだった。食事に行った帰り、私のマンションの前まで送ってくれた彼とゴミ捨て場と自転車置き場の隙間で初めてキスをした。その日の深夜に日高くんから電話があったが、そういうことがあった直後に電話で話すのは気まずくて嫌だった。

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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。