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求められたら意見を言え。

もう題名を書いただけで終わりなんだけど、ソーシャルメディアで行われていることのほとんどが、「お前には関係ないだろう」の一言で済む。

自分とは無関係な人に話しかける権利、資格、さまざまな言い方があると思うけど、リアルな人間関係でダメなものはネットでもダメだ。友だちを呼んだパーティに知らない人が勝手に入ってくるのは不法侵入だし、カフェで話している人に「それは間違ってる」と、割って入ってくるのもルール違反だろう。

何かを言いたかったら、まずは「意見を求められる人」になる必要がある。俺は有名人ではないからまあまあ平和なんだけど、世間に名を知られた人はつねに「意見を求めていない人」からの批判に晒されている。これは大変なストレスだと思う。

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「私はあなたのファンでしたけど、あんなことを言うとは幻滅です」と言われても、その人がファンだったかどうかなんて知ったことではない。勝手に好きになって、勝手に幻滅しているだけだ。それを、「有名で影響力がある人は、品行方正であるべし」なんていうのは、無名である立場を利用した悪質な差別だとすら言える。

世の中から意見を求められるようになると当然、責任が発生する。実名を出すし、プライバシーも侵される。その対価というのもおかしいけど、ギャラが発生する。すると、「お金をもらっているんだから、責任を取れ」と言われる。だが、お金をもらっていないから誹謗中傷をしていいという理由にはならない。

巨大なライオンみたいな存在を相手に、チカラのない膨大な数のハチがチクチク刺して、最終的には大きなダメージを与えることを、世の中に対して影響力を持ったと勘違いする。そういうのは目には見えないけど、れっきとした暴力だ。

名もなき人の権利である民主主義って、スポンサーに不買運動の圧力を掛けてCMをやめさせたりすることじゃないと思うんだよなあ。


多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。