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桐生くん:Anizine(無料記事)

桐生くんというガキ大将がいた。いわゆる「ジャイアン」だ。彼は僕らの街ではちょっと知られたお金持ちの子で、大人たちはその家を「桐生財閥」と呼んでいた。今となっては、「あれが財閥かよ」と冷静に思うのだが、田舎というのは、羽振りのいいセメント屋の倅が代議士になるような狭く古くさい価値観で動いているものだから仕方がない。

桐生くんは僕らの草野球チームのキャプテンでエースだったが、チームメイトにいつも鉄拳制裁をくわえていた。「桑名、なんであそこで盗塁したんだよ。あのあとにケンジがヒットを打ったんだから、お前が死ななければ一点入ってたんだぞ」と、バットのグリップエンドで頭をグリグリした。桑名は次の試合を休み、そのまま辞めた。桐生くんは僕と同じ4年生なのだが、チームの6年生より遥かに体格がよかったから、上級生でもお構いなしに殴った。

僕は守備の堅いセカンドでチームの首位打者、怒られることは滅多になかったが、とにかく日曜日の試合に行くのが憂鬱で仕方なかった。僕らはみんな、楽しく投げたり打ったりしたいだけなのだ。

ある日の試合。相手は正規のリトルリーグのチームで、県代表として全国大会にも出ている強豪。桐生くんは鼻息荒く、「絶対に負けないからな」と、いつも以上にスパルタンな顔つきをしていたのだが、結局その日、桐生くんは4三振、投手としても8点を取られた。試合が終わった後で審判に呼ばれ、「君は投球フォームがなっていない。指摘はしなかったがいくつかボークもあった。もっと基本を学ぶべきだね」と、両チームの全員が聞いている中でたしなめられた。桐生くんの面目は丸つぶれで、その日は恒例の反省会もせずに解散した。

ケンジは帰りにアイスを食べながら、「桐生くん、審判に怒られてたな。ざまみろだ」と言った。僕は、あれだけプライドが高い桐生くんがみんなの前であんなことを言われて大丈夫なのかを心配していた。桐生くんは悪いやつではなくて、ただ甘やかされて育っただけなのだ。ケンジと別れたあと、僕は遠回りだったが桐生くんの家の前を通って帰ることにした。家の前でバットの素振りをしていた彼は、バツの悪そうな顔をしていた。

「おう」

桐生くんは思った通り、元気がなかった。

「また次、頑張ろうよ」

桐生くんはいつも取り巻きに囲まれてはいたが、友だちと呼べる人がいない。あんな恥をかいたあとで声をかけてくれた僕に、友情を感じたのかもしれない。

「部屋にあがれよ。ケーキあるし」

僕は初めて桐生くんの部屋に行くことになった。広い玄関。この玄関、うちの家の全体よりも大きいな、と思いながら。二階の奥に彼の部屋はあった。八畳ほどの部屋には僕らの憧れのアイテムが所狭しと並んでいる。当時まだ誰も持っていなかったテレビゲーム、ロードバイク、ミクロマンが数十体、部屋の一面の壁は本棚で、漫画や小説がびっしり詰め込まれていた。桐生くんは一人っ子で家を継ぐ立場だから、何でも与えられていたのだろう。

彼は階段の上から、「ケーキ持って来て」と大声で言う。しばらくして母親が持って来たのは見たこともない高級そうなケーキだった。

「珍しいわね、お友だち」

やはり、彼の部屋に友だちが来ることはないのだとわかった。美味しいケーキを食べたあと、彼は卓球をしようと言った。壁の本棚だと思っていたところが巨大な扉で、その向こうには今で言うジムスペースというか、板張りの部屋があらわれた。壁沿いに卓球の台があった。

「忍者屋敷みたいだな」
「だろ」

僕らは台を部屋の真ん中まで運び、汗だくになるまで数時間、卓球をやった。桐生くんはいつもとは違って楽しそうに笑っていた。そうか。この卓球台は相手がいないから壁に当ててひとりでやっていたんだ、とわかった。

「あのさ、お前にだけ話すから秘密にしておいて欲しいんだけど」
「ああ、いいよ」

桐生くんは神妙な顔で話し始める。髪の毛からは汗がポタポタ落ちていた。

「笑うなよ」
「笑わないよ。約束する」
「ときどき、おちんちんが硬くなるんだ。これって病気かな」
「え、知らないのか。それは正常だよ」
「本当か。病気じゃないのか」

それから僕らは声を潜めて、小学生の男子がするような幼いエロ話をした。桐生くんは極端な奥手だったのだ。

「また、遊びに来いよ」
「うん。来るよ」

僕らの野球チームの雰囲気は以前とはちょっとだけ変わって、桐生くんの横暴さはなくなっていた。僕が桐生くんのエロの先輩として優位に立ったことで、グラウンドでも彼と対等に話す姿をみんなに見せることができた。そうしているうちに全員が桐生くんを恐れることがなくなり、いいムードになったのだ。

桐生くんは私立の中学に行き、僕は東京に引っ越した。それから彼には会っていないが、30歳くらいのとき親戚の葬式で地元に帰ることになった。駅前の商店街は何も変わらずにどうしようもない寂れ方をしていたが、野球のグラウンドにはコンビニができていて当時の面影はない。

親戚の家に向かう途中の住宅街に選挙ポスターの掲示板があった。

「桐生達夫 この街の未来のために」

僕は、「おちんちんが硬くなった、病気ではないか」と真面目な顔で聞いていた桐生くんが大人になって選挙ポスターに載っているのを見て、笑いが止まらなかった。

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