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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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#映画

ハリウッド・メソッド:写真の部屋

写真でもムービーでもそうですが、演出して撮る側は「演技においてのグルメ」でないといけないと思っています。たとえば泣く演技。涙をスポイトで垂らして撮れば終わりではありません。なぜ写っている人はそこで泣いているのか、観る人がその涙に感情移入できるかどうか、が大事です。演出は小説を読んだり、映画を観たりすることで訓練できますが、そこで得られるデータは「してはいけないこと」の膨大なストックになります。 たとえば映画を観ていて、ここで主人公がこんなに泣くのはおかしい、と感じたとします

三度目のウンチ

4年前に初めての本を出し、先月末に二冊目が出ました。出た、って言い方はどうなんですかね。小学生がウンチの話をしているくらい幼稚ですね。上梓とか出版とか刊行とかリリースとか色々な表現があるんですが、出版や刊行は出版社が主体であるような気がするので私が言うのは違います。上梓というのは、昔、梓の木で版を作っていたからだそうですが、今回の本は木版は使わず、デジタル作業がメインのはずですからしっくり来ません。 下品な言い方で恐縮ですが「考え」というのは排泄物のようなものですから、ウン

台北へ:写真の部屋

来週は久しぶりに台北に行きます。以前撮った写真を見返していたんですが、そこに「写真は、そのまま映画になる物語があるかどうかが基準」とメモがついていました。 女性の何も見ていない佇まい、スマホの世界にいる男性。ベストな場面でした。さて、それをより強めてみたのが次の写真です。

映画のカット数:写真の部屋

2時間くらいの映画には、どれくらいのカットがあるのでしょう。映画の種類や監督の好みによって違うので数は一概にはいえないんですが、ワンカットの平均的な秒数で全体を割ってみると、おそらく700から1000前後なのではないでしょうか。 それに引き替え、写真はたったワンカットだけいいのがあればオッケーです。なかなか1000カットが入っている写真集はなさそうですし、時間経過とともにストーリーを表現しているものもないでしょう。 つまり、自分が「これはいいのが撮れた」という写真(数秒の

完パケる:Anizine / 写真の部屋

先日あるシーンが頭に浮かんだのでそれをメモしておいたのですが、次々に話が進んでいって、まあまあのプロットになりました。脚本にはほど遠いですが、物語の骨子は見えています。なぜそんなことをしたかと言えば、山形ビエンナーレで「架空の映画の脚本を写真にする」という展示をしたのを思い出したからです。それと近いことができそうだなと感じました。 ポスターやスチールはあるのに映画の本編だけがない、というおかしな展示でしたが、もしかすると、もしかするとですけれど、かなり保険をかけた発言をしま

写真>事実:写真の部屋

見たときすぐに、そこで何が起きているかがわかる写真があります。「わかる必要がある」と言い換えると、報道写真などがそれにあたりますが、これは見る人が理解し、納得する目的のために撮られています。 目的のある写真は簡単です。そこにある事実を写せばいい。語弊がある表現だとは思いつつ、世の中の大部分は語弊でできているので、気にせずに進めます。二元的に言う必要もないのですが、事実を写す写真と、事実以外のものも含めている写真は存在の意味が違っています。 私は事実を写そうとしたものを便宜

やりたいことへの報酬:写真の部屋

またまた平林監督と考えていることがシンクロしてしまった。シンクロにして、シンクロニシティ。 企業も個人も方向転換は厳しいという話で、ついさっきそのことを書こうとしたところだった。平林監督の具体性のある提言というか実感については定期購読マガジン「平林勇ストア」を読んでもらうことにしよう。強く言っておくが自分のためになる情報は無料では得られないと思った方がいい。本を買うにも映画を観るにもお金がかかるのと同じで、ネットに書いてあることだけは無料だと思うのは大間違い。 特に平林監