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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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2022年2月の記事一覧

黒バック:写真の部屋(無料記事)

白は軽やかで親しみやすく、黒は重厚でゴージャス。 一般的な仕事では白バックを使うことが圧倒的に多いんですが、黒を使うこともあります。宝石・クルマなどのように商品が高価で高級なイメージを持たせたい場合です。当たり前ですけど「らくらく毛玉取り器・1980円(税込)」みたいなものにはあまり黒バックは使われません。 そのように写真を構成するビジュアル・エレメントにはすべて潜在的な意識に訴える意味があって、「論理的にチョイスされている」ことに気をつけて写真を見てみてください。 そ

カレーを食べていた:写真の部屋

「大丈夫か、歩けるか」 「捻挫選手権くらいキツい」 「その地区のレベルによるだろ」 「大阪地区」 「それはキツいな」 俺の肩につかまって足を引きずっているボブは、何にでも選手権の名前をつける。親友をこんな目に遭わせたやつが許せない。ゴールデン街から近いボブのマンションまでゆっくりゆっくり歩く。アンガー・マネージメントという言葉がある。怒りは数秒で減衰するから、ほんの少しだけ我慢すれば突発的な反撃などをしなくて済むという対処法のことだ。10分くらい歩いていると、なぜ俺たちは怒

差別の産物:写真の部屋

写真とは「差別」でできています。そこからは逃げられない。差別というより柔らかい表現をすれば、ここで撮るのか、この人を撮るのか、という自分が美しいと思うものの選択の連続こそが撮影する衝動です。しかしそれは結果として「選ばれなかったもの」を生み出します。 たとえば仕事にはオーディションがあり、演技力があるとか容姿が優れているという理由でその仕事をしている人々をたくさん集めて、その中から誰を使うかを選んでいる。100人が参加しても、うれしい気持ちで結果を聞くのはたったひとりです。

人が撮れない人へ:写真の部屋

レンズは撮影者の側を向いている、と言われることがあります。 誰かを撮っているつもりでも、そこには撮影者が「そうあって欲しいもの」として写るという意味です。若い女性モデルを撮れば、自分の恋人がしてくれたらうれしいような表情やポーズを要求しがちです。写真を見ればその人の「期待する女性像」が写ってしまいますから、ある意味でとても恥ずかしいことかもしれません。 写真を撮り始めてからずっと、気になった人にはどんな場所でも声をかけて撮影させてもらっています。誰かと会った記念の写真が残

テーマが熟成する:写真の部屋

街を歩いていると、クルマがある。単なる移動手段だと思ってしまえばそれまでなんだけど、撮る題材に選ぶとそうでないことがわかってくる。それを「テーマ」の話に置き換えると、自分は何を題材に写真を撮るのかということとつながってくる。 渋谷や青山や西麻布、銀座あたりが行動範囲だけど、ここに走っているクルマはただの乗り物ではない。地方では絶対に見ることはないだろうという珍しかったり高価だったりするクルマがひっきりなしに通る。俺がこどもの頃にはスーパーカーブームというのがあって、皆がラン

情報量:写真の部屋

手を撮るのが好きです。なぜかと言えば伝わってくる情報量が多いから。カラダのパーツで10もの情報が見えるのは指だけです。

普通のポリス:写真の部屋

名所旧跡と言われる場所であっても人が住んでいる。彼らの目には『アクロポリス』だって日常的な風景として映る。

カメラを選ぶ:写真の部屋

人それぞれ撮るモノが違うので一概には言えないんですが、具体的なカメラ選びの話を。 まず、前回書いたコンパクトカメラについて。新製品が次々に出ていますがこの手のカメラはほとんどの用途で困ることはありませんから、小さなスペックのアップデートに一喜一憂しないようにしてください。撮像素子はフルサイズですが、NikonのD4というオリンピックなどの報道用途で活躍した最高峰のプロフェッショナルカメラがありました。これは1620万画素で、次に出たD5が2080万画素。新聞などに使う報道写

カメラを買う:写真の部屋

カメラというのは不思議な道具で、プロフェッショナルとアマチュアの垣根がありません。免許を取ったのでプリウスを買おうか、フォーミュラカーを買おうか、と迷うことができるのです。ここで問題になるのは予算だけですから、技術や目的は二の次になっています。 こどもの運動会を撮影したいお父さんと仕事をするプロフェッショナルが使うカメラにそれほどの違いはなく「民主的な道具」とも言えましょう。カメラメーカーは大多数のアマチュアに対して、腕前よりも数段階上の機材を買ってもらうことで売り上げを維

間違っていてもいい:写真の部屋

口を甘辛くして何度も言うが、「写真は間違っていてもいい」のだ。 なぜかと言えば、写したいモノや撮り方や撮るときの気持ちは全員が違っていて当たり前だから。言い方を変えれば間違いなど存在しようがない。こう言うと適当だと思われるかもしれないけどそうじゃなくて、創造という行為に間違いという概念を持ちこんではいけない。 確定申告みたいに事務的なタスクを処理するときに間違いをしてはいけないことは誰でも知っているが、その考えは「創造」に役立たないどころか邪魔になる。多くの人がタスクをこ

RAW現像の初歩:写真の部屋

RAW現像ではありとあらゆる加工ができますが、今回は初歩の初歩を。 たとえばこんな写真があったとします。さて、これをそのまま人に見せてしまう人もいるでしょうが、俺ならそうしません。何が一番生理的に気持ち悪いかを解説します。

人が「生まれて死ぬ」とは:すべてのマガジン

人が「生まれて、死ぬ」とはどういうことだろうか、と、年齢のせいか、より強く考えるようになった。(何度も書いていることだけど、見出しや書き出しだけを取り上げて感想を言われないように、ここからは4つのいずれかの定期購読メンバーだけに向けて書くことにします)

Youtubeで学ぶ:写真の部屋

毎日数時間はYoutubeで外国のカメラマンのスタジオでの風景を見ています。どんなライティングをしているかなどが参考になるからですが、ゴルフで言う「レッスンプロ」のような人が多いのも事実です。教えることが上手な人はある意味で存在価値があると思うんですが、美術教育全般の問題と考えても「現場で活躍したことがない人」の教えには素直に耳を貸せないのではないかとも感じます。 自分が知っている技術には限界があるので、知らなかったことなどを試している人の動画はとてもありがたいのですが、日