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博士の普通の愛情

恋愛に関する、ごく普通の読み物です。
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2023年10月の記事一覧

マンションとパン:博士の普通の愛情・後編

何度かお互いの部屋に行き来するうちに、僕らは付き合うことになっていた。なっていたというのも変だけど、ふたりとも何かをはっきり口に出して言う性格ではなかったので、自然とそうなったとしか言い様がない。2階の僕の部屋にふたりの荷物のほとんどを置いて、9階をできるだけ物がない部屋のようにして広々と使った。その夜は9階の部屋でテレビを見ていた。 「さっき、真吾はテレビを観ていて変なところで笑っていたね」 「そうかな。気になったの」 「うん、前だったら笑っていなかっただろうと思うところ

マンションとパン:博士の普通の愛情・前編

僕の部屋は2階にある。窓を開けると桜の並木があり川が流れている。今もそうだが、春にはちょうど目の高さに満開の桜を見ることができるのが気に入って5年ほど住んでいる。2回の更新のタイミングで引っ越そうかとも思ったけど、やはりほかに勝る物件はなく、しばらくはここに住み続けるだろうと思っている。フリーのライターをしている僕は昼の11時くらいまで寝ていることが多い。窓の外から音質の悪いスピーカーから童謡が聞こえてきた。週に一度、いつもの時間だ。 下をのぞくと満開の桜越しに赤いクルマが

包帯をした女性:博士の普通の愛情(無料記事)

ときどき行く近所のカフェには外国人が働いている。ネパールやベトナムの人が多いようだ。どちらもそうなのだが働き者で明るい人が多いように感じる。ベトナムは僕がアジアを好きになったきっかけの国だ。初めてホーチミンに行ったときに出会った人々の印象が今でも強く残っている。僕のような外国人が来ても接する態度が変わらない。ずっと前から近くに住んでいる人であるかのように話しかけてきて、話した翌日にはもう友だちのような顔で挨拶をしてくれた。 数年前にそのカフェでコーヒーを頼むと、右手に大きな

タエの声:博士の普通の愛情

友人からメールが来て、写真展をするので来て欲しいと言われた。わかった。久しぶりに会いたいから行くよ、と答えたがギャラリーの場所を見て後悔した。京王線・下高井戸駅近く。その街にはたくさんの記憶があって、できれば思い出したくないと意識の下の方にしまい込んで蓋をしていた思い出がある。 その人と会ったのは、ある旅行のときだった。数人の友人と仙台に行ってあまり美味しくない牛タンを食べたのをおぼえている。東京の仲間のなかで仙台の実家に帰ったやつがいたので、仙台観光をメインに一泊で会いに